すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ある時井戸に降り、ある時旅に出て

2019年06月04日 | 読書
 あれほど雑誌好きだった自分だが、書店に行ってもあんまり手が伸びない。毎月決まって読むのは、地方、地域出版のもの以外は出版社に注文している書評誌程度か。それで事足りるのは視野が狭まっている証拠か…、それはさておき今月号は『波』(講談社)が面白かった。三つばかり拾ってみる。


Volume.163
 「公的な言論を深めるためには、人は時に自己という井戸に降りていかなくてはならない」(茂木健一郎)

 ある本の書評にあった一文。
 よく政治的、社会的問題など「自分を棚上げして語る」人は多い(私もそうだろう)が、結局「自分が本当のところどう感じているのか」問いかけないままに語ったり、書いたりしても、それは参照されない。
 人に伝わる「重み」を、井戸を降りて汲んでこなければならない。


Volume.164
 「言葉を持たない動物たちに対する憧れがあります。彼らは言葉を持たないで、どんな感情の中にいるのか。少しでもそこへ近づくために、自分は言葉で小説を書いているんです。」(小川洋子)

 霊長類学舎山極寿一との対談記事にあった一文。
 目指すは「言葉の届かない場所」だ。誰しもうっすら気づいているが、そこにある大切なこと、それはもしかしたら人間存在の本質のようなことだ。
 人間以外のものを見ることによってしか、達し得ないか。
 それを言葉で表そうなんて無謀だが、小説家にはそれしか手はない。


Volume.165
 「『林住期』に入ると、鎧を脱いで、旅に出て、言葉探しをしたんです。自然という沈黙の空間の中で言葉を探す。その時、決定的な言葉に出会う。」(山折哲雄)

 著者インタビューということで、本で扱った「西行、親鸞、芭蕉、良寛」の四人の共通項を語っている。
 ある面の「軽み」を持たないと、人は言葉に出会うことは難しいのかもしれない。
 ぽっと出てくる一言のために身を置くのは、自然に限る


 フットワーク軽く…