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( )で括られた苦難の結晶

2019年06月30日 | 雑記帳
 先日、朝のNHKニュースを見ていたら、最近のSNSで「・・・・・ああああああああ(語彙力)」といった投稿が見られることが話題になっていた。(語彙力)という表記を、「語彙力がもっと欲しい」というニュアンスで捉えているようだ。そういう流れで、語彙力辞典を使いこなしている女性を取り上げていた。


 (語彙力)には「(感動が強くて)語彙力を失った」という意味に使われる場合もあるらしい。いずれにしても、言語では表現しきれない状況にある、それほど凄いのだよ、と言いたいのだ。省略表現であり、強調表現とも言えるか。「」に似ているかもしれない。そこに「語彙力」という語彙があるから、注意を惹く。


 ということは、伝えるよりも自分が目立つことを優先していると考えられる。もちろん、肝心なことは「美しい」でも「おいしい」でもその対象に心が揺り動かされた事実かもしれない。しかし、それを文字表現によって誰かに伝えようとするとき、語彙を尽くそうとせず、逆手にとるような表記はいかがなものか。


 と書きながら、これも一つの工夫か、あるいは日本人独特の「察しの文化」か、と思ったりする。人が文字記号を使ってきた歴史は6千年ほどらしい。人間はその前9万年以上は文字なしで過ごしてきたわけだから、急にいろいろな思考や感情を記号化するなど難しいはずだ。だから、その苦難の結晶が語彙だとは思う。