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成績をつけない時間・空間

2019年06月20日 | 教育ノート
 久しぶりにアクセスした「内田樹の研究室」に昨年6月の私学研究会での講演録が載っていた。「英語教育について」と題したその内容は、印刷すると三十数ページになった。外国語教育ばかりではなく、いつものように広く持論を展開しており、学校教育に向けての提言は「成績をつけない」という一言に集約された。


 そう言われても、指導する教員にさえ成績がつけられ序列化が進むなかで「道理はわかるけど…」と割り切って考える当事者は多いだろう。しかし具体的なアクションは初めから無理と決めつけないで、耳を傾けてみよう。「カリキュラムのどこかに、子どもたちが誰とも競争しないで済む時間帯を設けて欲しい」と氏は語った。


 学校勤務時代に毎年いいなあと感じる時期があった。それは学習発表会の練習が始まり、準備が忙しい頃だ。学年・学級に違いはあるが、ハレの日に向けて一体感を高めていくような雰囲気が好きだった。そこには競争はなかったし、評価はしても成績とはまた異なっていた。何より担任が裁量する範囲が広かった。


 またそれとは別に、いつもいいなあと思っていた活動がある。この周辺ではよくやられている、校内マラソン大会となべっこ会が続く一日である。マラソンは確かに競争の象徴のような活動だが、その後に異年齢集団グループで鍋をつくり、一緒に昼食をとるといういわば解放されたときが設定されるのが常だった。


 その秋の一日は格別だった。早めに食べ終わったグループでは遊び始めた子たちもいた。のんびりと食べ続けている子もいる。教師と共に後片付けをしている高学年。時間的な余裕もあり、下校後には会議・研修もいれなかった。こんな日がもっと欲しいと強烈に思った。希求する姿をもっと意識すべきと唇を噛んだ。