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「わっぱが」な話

2019年06月28日 | 雑記帳
 26日朝刊に例のイージス・アショアの報告書にまたまた誤りがあったことで、秋田県の佐竹知事が防衛省の仕事を「わっぱが仕事」と秋田弁で批判した記事が載っていた。この表現を受けてということはないだろうが、翌日の文化欄連載の「あきた弁・一期一会」に、佐藤稔氏が取り上げたのが「わっぱが」だった。


 我々の年代であれば「わっぱが」は、よく「わっばがしょうあぶらっこ」(塩アブラッコ)と使った。このニュアンスは、「請負仕事→割当仕事→ずさんな仕事ぶり→非難をにじませる」という解説より、もう少し呆れたような感覚を持って批判・非難していたように覚えている。「アレなば、わっぱがだ」というように…。


 まさに今回の調査報告の顛末はぴたりと当てはまる。また「わっぱがそ(しよう)」は昔よく使った。これはパッパッと仕事を終わらせようということだ。ここには割切って早く済まそうというニュアンスがあり、その意味で政府の姿勢に通ずる。視点を変えれば、配置そのものが米国からの「わっぱが」な押しつけだ。


 さて、今回佐藤教授の解説で、「わっぱが」が「わりはか」の変化形で、「はか」が「計・量」を指しているとあり、なるほどと思った。「はがえぐ(はかが行く)」は今も使われている。結構、考えどころのある語だ。「わっぱが」仕事をしていると、なかなか「はかどらず」物事の進行が「はかばかしくない」というオチだな。