すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

村上春樹の心は1じ

2020年10月11日 | 読書
 読み聞かせの講座で、聞き手の脳波測定の話題があった。よく「淡々と読む」と「感情を込めて読む」の違いが話題になったりするが、脳波のデータ上に大きな違いは見られないとのこと。その点もへええと思ったのだが、それ以上に納得したのが、次のことだ。

 「機械音では駄目、アルファ波がでません」

 現職教員の時に、国語の教材文について教師の音読とCDによる俳優等の朗読のどちらが…といったことを思い出した。ねらいによるのだが、少なくとも聞く子どもにとっての「幸せ」はこれで決着がついたか?


 「おカネの切れ目が恋のはじまり」というドラマを、一週遅れで観ている。三浦春馬の遺作となったので、なんとなく見ていても複雑な気持ちが湧いてくる。主演の松岡茉優は好きな女優の一人だが、なんとなく今回の設定には合わない気がした。でも3回見続けたらそれなりに馴染む。清貧女子の使ったこの区分が印象深い。

 「お金の使いみちは消費・浪費・投資の3つ。浪費になっていないか、リターンがない投資になっていないか見極めること」


 ビジネス誌で図解されて語られるより響いてきました。お金に限らず時間もそうですな、と納得。


 で、全然脈絡なく紹介したいのが、表題のこと。今年もノーベル文学賞の有力候補であり続けたこの大作家の直筆の字がこちら。



 ある雑誌の表紙が、私には最初この字が「1じ」に見えた。もちろん、知っている人は知っているように、これは最近出版された訳書の題名。まあ、だからってどういうことでもないんですが…。
 別に作家の心を表しているわけではないだろうが、どうにも気になってしょうがない。