7月発刊されたヨシタケシンスケのエッセイ集『欲が出ました』(新潮社)は、翌月にさっそくペラッと読み、こんなメモを残していた。三つばかり印象的なフレーズを引用していた。この本を少々事情があり図書館に寄贈することになって、惜別記念にもう一度ベッドに寝転んでめくってみた。まだまだ出てくる名言。
「サァ!今日も元気に顔色をうかがっていこっ!」
「みんなで、朝一発目に気合いを入れるためのかけ声」だという。こんな職場があったら痛快だ。しかし、現実はみんなこうだから、何よりこの元気さだけが必要なんだね。
「志は高く、落としドコロは低く、よくかもう」
これは実に具体的。目標へのスモールステップ論を泥臭く表現している。目標と自分をきちんと分析できるかということ。そして、要は「よくかもう」を心がけることだ。
「まちがいには2種類ある。直した方がいいまちがいと直さなくていいまちがいだ。」
つまり、世間一般の基準に照らしあわせて、正しくない、よくない、誤っている…と思われること全てを、自分にそのまま当てはめていいのかってことだ。
仮に「まちがいだ」と口では認めざるを得なくとも、どうしても直せない、譲れないことがある。それを持てるのは一つの幸せだ。
もう一つとして、事故や過失的な観点もあるだろう。これは諦観を鍛えることかな。
あっ、もう一ついい句が…。でもこれは…そのうちに。
「サァ!今日も元気に顔色をうかがっていこっ!」
「みんなで、朝一発目に気合いを入れるためのかけ声」だという。こんな職場があったら痛快だ。しかし、現実はみんなこうだから、何よりこの元気さだけが必要なんだね。
「志は高く、落としドコロは低く、よくかもう」
これは実に具体的。目標へのスモールステップ論を泥臭く表現している。目標と自分をきちんと分析できるかということ。そして、要は「よくかもう」を心がけることだ。
「まちがいには2種類ある。直した方がいいまちがいと直さなくていいまちがいだ。」
つまり、世間一般の基準に照らしあわせて、正しくない、よくない、誤っている…と思われること全てを、自分にそのまま当てはめていいのかってことだ。
仮に「まちがいだ」と口では認めざるを得なくとも、どうしても直せない、譲れないことがある。それを持てるのは一つの幸せだ。
もう一つとして、事故や過失的な観点もあるだろう。これは諦観を鍛えることかな。
あっ、もう一ついい句が…。でもこれは…そのうちに。