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「大曲者!」たちから学ぶ

2020年10月15日 | 読書
 「クセモノ」という言葉を最初に聞いたのは、きっと幼い頃にテレビで時代劇を見ていたときではないだろうか。天井裏か床下に潜んでいる者の気配を知り「クセモノ!」と叫ぶ場面は、昔よくあったように思う。さて改めてその語を調べてみると、結構多義であることがわかる。広辞苑には六項目が記されていた。

 簡略に記すと
①ひとくせある人物
②異常な能力をそなえた人間
③妙手。やり手
④えたいの知れないもの。用心すべきもの。
⑤ばけもの。怪物
⑥あやしい者。不審な者。

 「人」の特性を表すが、「表面には表れない何かがあって、用心しなくてはならないこと」(明鏡国語辞典)という意味もあり、時々使うときがある。しかしやはり多いのは、特定の人物を形容する場合だ。最近、読んだ本の著者は、いずれも「曲者」、それも「大曲者」(オオクセモノ!)と言いたくなる存在感があった。


 「『さみしさ』の研究」(ビートたけし 小学館新書)

 久しぶりに「たけし節」を読みたくて手に取った。中身は週刊誌連載なので特に目新しく感じなかった。ただ「オイラはこの能力に関して絶対の自信を持っている」と記した箇所には、納得がいった。ビートたけしが、自らの老いと向き合いながら常に表舞台に立ち続けられる秘訣は、そこにあるのだと理解できる。

 「自分を見極める力」「自己客観視する能力」「状況判断能力」


 「それでもこの世は悪くなかった」(佐藤愛子  文春新書)

 作家の名前は知っているが小説は一冊も読んだことがない。このエッセイ集で知る人生は、ずいぶんと「侠気」に富むものだった。書かれているエピソードは、著名な父や弟のことを含めてずいぶんと面白く、ある意味破天荒だ。ただ、本格的に「作家として性根が入った」きっかけとなる述懐はこのようにシンプルだ。

 客観性を身に付けること。客観性、客観性。そこから始めなければならないことに気がついたのでした。




 「ぜんぶ、すてれば」(中野善壽  ディスカバー・トゥエンティワン)

 雑誌の新刊紹介で気になったので注文した一冊。著者は経営の世界では有名らしいが、今まで本は書かなかった。出版するきっかけが編集者によるこの書名の提示だったとある。それが全てを物語っている。基本的に「今日がすべて」という生き方を貫く人物。様々な組織に属し、離れ、常に新しいものを求めて動く。

 感性と思いつきで行動する姿は、凡人では到底真似できない。だからこそ「大曲者」らの言に従って、客観的に見る必要がある。人は「地理型」と「歴史型」の2タイプに分かれるという論に添えば、著者は完全な前者、全てフローとして捉える今の世にマッチする。もし自分を後者と見極めたら、深く掘るしかない。