すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

これでよいのだとは思わない

2020年10月16日 | 教育ノート
 もう二十年近く前だ。隣市の大きな会場でPTAの県大会が開かれ、当時『国家の品格』でベストセラー作家となった藤原正彦氏の講演を聴いた。繰り返し語られた「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数、あとは十以下」というその言葉に、「国語人」として強く背中を押されてきた。しかし、時は過ぎて…。


 教育関係の情報誌の今季号冒頭に、その藤原氏の文章があった。「これでよいのだろうか」と題されたエッセイは、長年主張してきたことがなかなか実現されず、いわば逆方向に進んでいるような状況を憂えている内容だ。英語、パソコンがますます重視され、時間的に国語教育を圧迫しているという認識を持っている。



 今現在、学校現場に居ない者が内情を語ることは憚られる。ただ現職中からその傾向があったことは認めざるを得ない。もちろん、国語教育の質という問題を抜きに議論はできないことだ。氏が最も重視する「読書」に関して、国語教科書で見る限りは、かなり意識されて編集されてきたように思う。しかし、現実は…


 「朝の読書」で一時全国的に盛り上がった「読書の時間」は、一部の学校を除きかなり変節してしまっているのが現状だろう。それは全国学習状況調査の実施などが影響したし、「グローバル教育」の名のもとに次々に導入される「新奇」な活動への対応に振り回された感もある。近視眼的になった現場が透けてみえる。


 「初等教育の目標は、何と言っても『自ら本に手を延ばす子を育てる』ことにつきる」という氏の考え方に、まだ共感を覚える自分がいる。正面きって携わらなくとも、条件整備や支援態勢の構築に関わる仕事の一役を担っているわけだから、アピールを続けていきたい。何を優先するか…またネジを巻いておこう。