すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

蛍を見つめる人を見つめる

2011年07月04日 | 雑記帳
 十年ほど前からだろうか、自宅の周辺にも蛍が飛び始めた。
 田んぼがあり小さい用水路があれば、それなりの条件は満たしているようで、数が多いわけではないが心癒される風景である。
 今年はまた少し数が増えて、わずかな日数ではあったが目を楽しませてくれた。

 そんな時、たまたま観たNHKの番組『最後の楽園』。
 http://www.nhk.or.jp/hotspot/#/jp/home/schedule/program6

 日本が取り上げられていて、興味深かった。
 その中に蛍がもともとは水辺に住む生き物ではなく、森の中に生息していたことが取り上げられていた。
 蛍のイメージが少し覆された気がしたが、納得もできることだ。

 そして多く時間が割かれたのは、ニホンザルであり、世界に例を見ない豪雪の中で生き抜くサルたちの存在を、歴史的経緯や環境適応を軸に取り上げていた。
 夏に高い山へ向かうサルの群れの目的は、高山植物にあることもまったく合点がいく。

 つまり動物たちの行動原理は、当然のことながら次の二つということになる。(生殖行動を別にみることもできるが)

 食べ物をさがす
 危険から身を守る


 我が人類が歩んできた道もそうには違いないと思うのだが、いつのまにか複雑に拡大し、踏み込んではならない領域へ立ち入ったようにも感じる。
 愚かに見えるようであり、それでもなお苦難を乗り越えられると信じたい気持ちもあり…
 それらをめぐって議論を戦わせることは、私たちの宿命であり、同時に輝きなのかもしれない。

 一週間に満たない命の光を見つめる私たちも、また誰かにそんなふうに見られている存在だという考え方もあるだろう。

小さなギャップで鍛えておく

2011年07月03日 | 雑記帳
 秋田大学の阿部昇教授の講演会があった。

 「小中連携」をテーマにした内容で、鍵は授業力向上にあり、共同研究の重要性を説くものだった。 

 前段のお話の中で、なるほどと思った一言がある。

 ギャップがあるからこそ大人になれる

 「中1ギャップ」…この言葉は課題的なとらえ方であり、否定的と言ってもいい。
 しかし、ある意味でギャップは当然であり、それこそが飛躍のための踏み台になる。これは人の一生の様々なステージに言えることなのだと思う。
 もちろん、だからそのままで…という展開にはならず、小中連携というテーマにあわせ、次のような言葉も準備されていた。

 ギャップがあるからこそ、連続性が必要だ

 ところで、少しそのことを考えていたら、あることに気づいた。

 小1プロブレムと中1ギャップ

 プロブレムは「問題・課題」、そしてギャップは「割れ目、隔たり」。
 なかなかよい?表し方だなと思う。

 そう名づけた主体は教育する側に違いないが、実は「プロブレム」であればそのままの強い印象があり、「ギャップ」であれば教育をうける側としてとらえた方がしっくりするような気もする。

 そこで、大胆に言えば、プロブレム解決は大人だけで行ってもよし、ギャップ解決は最終的に生徒自身が行う、などと括ってもよくないか。

 中1ギャップに向かわせる小学校教員としては、割れ目を意識させ、どん底まで落ちないような、足を滑らせてもそこから這い上がってくるような、そんなイメージで指導にあたるべきか。

 つまり、ギャップによって成長できる力を養わなければならない。
 いたるところに小さなギャップを作っておくという意識が必要だな、とそんなことを思う。