すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

神無月からも習慣と信頼

2011年10月03日 | 雑記帳
 涼しいを通り越して、寒いとなってしまった神無月である。

 昨日は、本当に久しぶりにホームページ更新。
 http://homepage3.nifty.com/spring21/

 といっても、実際は読書記録だけである。
 http://homepage3.nifty.com/spring21/hondana.html

 いくつか学校における通信類も残したいと思いながら、なかなか叶わないのは、怠惰のなせる業か。
 
 でも、それにしては学校ホームページは真面目に更新しているではないか。
 http://www.yutopia.or.jp/~miwasho/

 それは仕事だものね…
 (まあ、更新しやすく自分で配置したという技術的な進歩も一因であることに、今気づく)

 駄弁を弄しているうちに、学校も後半戦のスタートとなった。

 今週は明日の校内授業研究会(指導主事訪問)、そして一日おいて木曜は自校に上條晴夫先生をお迎えしての講演会と続く。
 
 毎日、毎時間、何かに追い立てられたり、何かに対応したりして時が過ぎていくような日常のなかで、やはり授業研究や研修は今さらながらに大切にしていかなければならない。

 気づかない何かに目を見開かせられたり、また考えていたことだけれど見えなくなってしまった何かを取り戻したり、そんな時間が持てるとすれば、それは研修の機会しかないような気もする。
 スタートの週を大事にしながら、年度後半に弾みをつけたい。

 今年の年頭に読んだ文庫本『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎)の映画がテレビで放映されていた。
 親友森田が語ったお気に入りの名セリフを、もう一度かみ締めた。

 人間の最大の武器は、習慣と信頼だ。

九月の修学旅行の教訓

2011年10月01日 | 雑記帳
 教員になって何度修学旅行の引率をしただろうか。
 担任としては4回あった。
 それ以外だと何回あったか…と数えてみたら、もう10回は超えていることに気づく。

 計15回ほどあったうちで、今回初めての九月実施となった。
 予定は六月であり、震災の影響を考慮しての時期変更だった。

 一緒に行く子どもたちへ結団式で地震のことについて触れた。怖がらせない配慮を十分するにしても、心の備えは必要だ。

 「震災で被害を受けたところがあったり、余震が続いたりしたので延期になったのだけど、今では地震はどのくらい起きていると思いますか?」
 と問いかけて、「一週間に1回」「二、三日に1回」などという声をうけた後に、調べてみたことを教えた。

 23日からの三連休中に日本で起きた地震は44回。それもかなりの割合で東日本、茨城以北である。宮城県沖を震源としているものは7回。
 むろん震度1,2がほとんどだが、子どもたちも少し驚いていた。

 結論として「多少の揺れは気にしなくとも大丈夫であること」「揺れが大きい場合の身の守り方、心構え」を確かめた。


 旅行当日、午前に訪問した中尊寺でお賽銭を入れながら、旅の安全祈願を十分にお祈りしたのだが…その「瞬間」は起こった。

 賢治記念館から中尊寺、そして多賀城の東北歴史博物館での体験活動を終え、ホテルへ向かう。渋滞もあったりして到着が30分ほど遅れ、夜の活動となるクリネックススタジアム前に入ったのは6時半を過ぎた頃だった。
 諸注意、記念写真、短時間の買い物を済ませ、スタジアムにL4ゲートから入ったのが7時過ぎ、階段を登り始めたら、胸ポケットの携帯が激しく鳴り始めた。

 あれっ、これはエリアメール。
 確か6月上旬の真夜中に聞いてから、全く聞かなくなった音。あまりに頻繁でその精度?について疑問が上がり、少しの震度予想ではならなくなったはずではなかったか…。
 ということは、大きな地震が来るということ!

 急いで取り出してみると「福島県沖」という文字。ほんのちょっぴり安心したような気持ちで、「地震がくるよう」と階下に声をかけたら、足はもう出口付近にありまぶしいライトに照らされた空間に踏み入ってしまった。
 
 球場内は別に騒然としているわけではないが、試合はストップしている。緊急放送があったのだろう。
 一応スタンドの指定席へもゆっくり上っていくが、全然揺れは感じない。
 もう既に情報を入れた方がいて、「震度2」という声が聞こえた。ほどなく、試合再開となる。
 
 いやあ、改めて地震の揺れよりドキッとするのがエリアメールだなあと久々にこの感覚を思い出した。
 子どもたちには「気にしなくて大丈夫」と言いながら、実は結構な緊張が走ったことに、何か戒められたような気になる。

 その後の報道によると福島は震度5強だったという。目立った被害はなかったようでよかったが、その度に心も揺さぶられる人々は苦痛であるに違いない。

 その場からちょっと距離の離れた私たちに対して、まだまだ収まらないよ、そういう現実の中で活動を作り上げていくのだよ、そのことを忘れるなと喝を入れられた貴重な瞬間だった。