すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

笑えない近未来小説を読む

2020年04月08日 | 読書
 『安楽死特区』(長尾和宏 ブックマン社)という小説を読んだ。著者は現役医師で、数年前にベストセラーを出しているという。この話の舞台設定は2025年の東京である。昨年末に発刊された本だが、1月中旬くらいまでに読んだ場合と、今この4月ではおそらく感じ方が違うはずだなと、読みながら考えていた。


 「笑えない」訳の一つは、東京オリンピック後のこの国の様子である。これについてはある程度想定できるもので、負の遺産となる懸念は多くの方が抱いているはずだ。国力が下がり、経済がひっ迫してくる。その中でますます進む高齢化社会。政府は「安楽死法案」を通そうとしており、モデルづくりに取り掛かる。


 中心人物の一人に東京都前知事の女性がいる。自らが癌に侵され、そのため知事を退いて副知事となり、その特区実現を目指す。マスコミの世界から国会議員へ進出後、都政へ転身となれば、誰が見てもモデルは明らかだ。若い頃の男性関係が一つの筋を作り悲惨な結末を迎える展開は、フィクションとしては面白い。


 笑えないもう一つは、結局この特区づくりで政府がねらう真相である。安楽死の対象に認知症患者を入れるか入れないか…そこが大きな闇につながっており、この国全体に巣食っている病の一端を見る思いがした。女性写真家が語る「この国は、命と経済を天秤にかけて、安楽死特区を作ったのです」という言葉が響く。


 それにしても笑えないのは、この近未来を笑うほどの余裕を持てない今の現実だ。「命と経済を天秤にかけて」という発想は、今回の一連の流れの中で顔を覗かせなかったか。とんでもない事と一笑に付すことは震災後の原発の動向と重ねれば到底できない。いつの場合も私たちの選択が未来を作りだしているのだから。

緊急ではなく非常な日々を

2020年04月07日 | 雑記帳
 変な夢を見た。そばに大きな建物(たぶん学校だ)があり、その屋根にはソーラーパネルシステムがある。何故か横に立つ大きな樹木の上部にしがみついている自分。その樹木が倒れ、ソーラーの半分ほどに衝突、機器を壊してしまう。現実に起こったら大変だが、その後は軽く叱られて収束してしまった。何かの暗示か


 車のダッシュボードに入れてあった一つのUSBを、久しぶりに聞いてみた。「ラジオデイズ」を録音したものだ。「大瀧詠一2012」とある。大瀧の自宅で友人たちと雑談している内容。「非功利的知性」という語が飛び出し、実に羨ましくなった。こんな大人になれなかったなあとため息が出る。遅いけれど…と思う。

   
 それほど花粉状況は酷くはないが、家の中にある2台の空気清浄器は稼働率が多い。1台は2003年製。なんとnationalである。5年はもつというフィルターを一度交換しているが、そろそろ警告ランプがつくだろう。部品はまだあるのか。注文頻度の多いY社のサイトへ。あった!えらいぞ、日本の電化メーカーは。


 いよいよ緊急事態宣言。一連の動きについて誰が大局的な見方をしているのか。ふだんの水嵩をはるかに上回る情報洪水のなかで、やはり自分が信頼するに足りる方々と共に歩むしかない。かつて、サッカー日本代表監督を務めたイビチャ・オシムは、「常になんとかなると思っている」と日本人の悪癖を鋭く指摘した。


 先月、西條剛央氏の『人をたすけるすんごい仕組み』を読み、続けて『チームの力』(ちくま新書)を手にした。共感というより目を見開かされた点が多くあり、信頼できる研究者がまた一人増えとても嬉しかった。西條氏らは今「わたしの非常事態宣言~でも悪いことばかりじゃないぞ」を立ち上げた。賛同したい。



批判が頭上に下りてくる

2020年04月05日 | 教育ノート
 昨日書いた情報冊子の記事で目に留まったもう一つは、秋田大学の阿部昇教授の特別寄稿。内容は「PISA『読解力』15位の要因を探る」と題され、その原因について、今回新たに加わった「質と信ぴょう性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」に関する設問の正答率が悪かったことを指摘し、改善点を述べている。


 阿部教授の文章は久々だが、以前からの主張と変わりない。つまり「文章や作品を評価したり批判したりする授業、そしてそれについて論議したり表現したりする授業がほとんどない」という内容である。従って今回の結果は、先生が尽力した「批判的読解」が結局根付かなかったという証左とも言えるのではないか。


 調査の目的や価値はさておき、大学教育のみならず小・中の教育に大きな影響を及ぼしているだろう阿部教授が、こうした見解を述べることを「敗北宣言」と捉えるのは大袈裟だろうか。「日本の教育の弱点を顕在化させてくれた」と前向きに結んではいるが、押しても引いても動かぬ岩があると感じるのは、私だけか。



 評価的・批判的思考の重要性、それらを具現化する学習法などの資料、書籍などは溢れている。しかしその情報を学校、教室いや社会として受けとめる素地があまりに弱い。「1世帯2マスク配布」に対する嘲笑、揶揄等より、この施策が作りだされる構造そのものに、多くが加担しているという評価を出来ないでいる。


 改訂学習指導要領には、文章や作品を批判的に読む要素が重視され、教科書にも学習頁が設定される。それ自体は喜ばしい。しかし使う側の意識が向けられない限り有効性は薄い。批判によって成立する生産性を自ら実感していない者にとっては難しい…ではオマエはやってきたのか、また自己批判で終わりそうだ。

子どもは心もちに生きている

2020年04月04日 | 教育ノート
 教職を辞して4年、当然関連する雑誌は購読していない。しかし今も変わらず季刊で送られてくる情報冊子がある。連絡して止めればいいものの無料配布でもあるし、時々見入ってしまう文章に出会うこともある。今回は特に興味深かった。その一つは秋田喜代美東大教授の冒頭エッセイ。「ならでは」がキーワードだ。


 内容は「日本ならでは」「子どもならでは」といったことへの着目だ。簡単に個性と片付けてしまわないところがいい。子どもの捉え方は、わかっているようでも奥が深い。特に引用されている倉橋惣三(保育哲学の礎を築いたとされる)の言葉は深く染み入った。「子どもの心もち」と題されたその文章に、ほおっと想う。

 「子どもの心もちは極めてかすかに、極めて短い。濃い心もち、久しい心もちは、誰でも見落とさない。かすかにして短き心もちを見落とさない人だけが、子どもと倶にいる人である。」


 「」とは「供」なのかなと予想し、調べたら少し違う。「倶」だけで「ともに」と読むのだそうである(漢字源)。「そろう。そろって行動する」といった意味合いだ。子どもと共にいるとは、そばに居るだけでなく、行動が伴う。子どもが有難く、嬉しいという感情を抱く人はきっとそうである。「倶」の語の重みがある。


 それにしても「かすかにして短き心もち」とは、なるほどの一言だ。子どもの興味関心は常に一定ではなく、次々に移り変わる。こだわるように見せていても、気を逸らすことは意外と簡単でもある。しかし、その変わりゆく一つ一つに意味があることを忘れてはいけない。「子どもは心もちに生きている」のである。

うつうつと年度を跨いだ週

2020年04月03日 | 雑記帳
3月30日(月)
 新年度のことを協議しているが、感染拡大が頭をもたげどうにもすっきりしない。ALT2名感染は教育関係者にとってはかなりショックだった。午後、日本赤十字のサイトに関連資料を見つける。これは!と思いFBにもブログにもアップした。ぜひ見てほしい。夜、県内5人目の感染者報道あり。自衛隊員である。


3月31日(火)
 今年度末日。明日からの通常開館へ向けて準備を進める。かつての同僚が訪ねてきてくれたので、学校の卒業時の様子を聞く。皆、それぞれの立場でふんばっている。今、出来ることを確実にしよう。県内6人目の感染者報道あり。北海道から帰省した地方公務員。めくるめく報道「一軒マスク2枚」は寂しく笑える。


4月1日(水)
 新年度初日。早く目覚め、あれこれ思案。職場ではカウンター傍に花を飾り、エントランスの展示に精を出す。例の日赤資料も玄関へ貼りだした。感染は病気だけではない。夕餉で初のライ麦ビール。毎年エイプリルフール記事を載せている地方紙が載せてないことに気づく。仕方ない。県内7人目は自衛隊員だった。


4月2日(木)
 今日は勤務予定がないので、書斎整理を少しする。昼は今年初の冷麺を食す。午後から久しぶりの小豆煮。今の自分はウィルス以上に花粉が怖く、外に出ないで過ごす。幼子の感染報道に胸が痛む。孫を風呂に入れられる幸せを思う夕方だ。8人目の県内感染者は研修医。それが卒業旅行帰国者と聞き、憮然とした。


4月3日(金)
 9人目の感染者報道あり。都会から帰省した10代の専門学校生。同様に考える若者や家族もいるだろうと想像する。朝に知り合いの家へ中学入学祝いの菓子を届ける。非常時意識を持ちたいが、簡単に萎ませてはいけないことがある。学校モードでいえば来週からが本番となる。今の態勢を体制に形づくる必要がある。

日々を信じてアネモネの句

2020年04月02日 | 雑記帳
 久しぶりに家人の作ったパンフラワー作品を、図書館カウンターに飾った。今回はアネモネである。名はよく聴くが、あまり馴染みのなかった花だ。せっかく置くならタイトルでも添えようと考えた。花言葉がいいかな…いや俳句はどうかと歳時記を調べたら、ちょうど春四月の季語にもなっていた。例句を見ると…

 アネモネのむらさき濃くて揺らぐなし  水原秋桜子

 アネモネのごと一病をかかえたる  宇多喜代子


 なんだか、強いか弱いかわからないイメージだ。もちろんその場によって、また人によって違うのは当然だが、とらえどころがない。それに比べて次の三句は比較的くっきりしているか。

 アネモネに不良の匂ひして真昼  櫂未知子

 アネモネや父に持たせる女傘   正木ゆう子

 アネモネやタンゴ流るる理髪店   梅田圭一郎


 しかし、これらを添える句として使うのはためらってしまうな。艶っぽいとまでは言わないにしても、アダルトムードだ。そして候補として残ったのが三つ。

 アネモネやきらきらきらと窓に海  草間時彦

 まっさらなノートいろいろアネモネ語  永末恵子

 どちらもいい情景が浮かんだが、最終的に選んだのは下の句である。苦いスタートと言える四月だけど、このあとの日々を信じて添えてみた。


 

出来ることを確実に

2020年04月01日 | 雑記帳
 新年度が始まった。こんな心持ちでのスタートになるとは予想できなかった。2020年が印象深い年になることは、なんとなく私的な年回りのジンクスで感じていたが、記憶にない積雪の少なさに驚いた冬の終わりから、こんな災禍が待っていようとは…。それが個人や限定された地域ではなく世界の大半を覆っている。



 今の事態を「戦争」に喩えることはけして大げさではないだろう。攻撃をうければ、命の危険まで脅かされる。侵略されるイメージと言える。やっかいなのは、「敵」の姿がきわめて見えにくく、ゲリラのような展開をみせることだ。侵入を防ぐための意識変革は個人差が著しい。そうした中での防衛は非常に困難だ。


 組織に務める者には、ある目的を達成するために日々の業務がある。それ自体変わりはしないが、今取りあえずの障害があまりに大きく、その除去に疲弊するかもしれない。しかしこういう時だからこそ落ち着いて、よく考え、状況を見きわめよう。新しい試みを生み出す努力をしつつ、出来ることを確実にこなそう


 図書館のエントランス掲示を変更する。『今月の言の葉』と題し、詩や文章の一節を4編掲げた。小さい子から大人まで対象とする。勤務した様々な学校でも廊下や階段に詩を貼ってきたのは、T先生の掲げる「詩と絵のある学校」の影響だろう。T先生もまたここの館長だった。詩は明日への一助になると信じている。