十日町、津南地区を妻有と言うのは、信濃川の上流にある山に囲まれた『どん詰り』からという説が有力らしい。
妻有そばや妻有ポークなどに使われていて、今はまさに『越後妻有(つまり)2022大地の芸術祭』が開催中だ。
その中心たる越後妻有文化ホールは「段十ろう」という名で親しまれている。
段は河岸段丘とホールの階段式観客席の段を採用し、十は十日町、ろうは雪国などで独特な雁木をイメージしたものか、などと、生まれ育ちはこちらでも18歳で外にでて、今は滞在者という格好の私の憶測が合っているかどうかは分からない。
その段十ろう外構(庇)を利用した「光り織」という作品は日没〜22:00までの点灯とあり、『越後妻有文化ホールの「雁木」を思わせる約110メートルの庇を彩る光の作品。・・・四季を象徴する様々な色と「十日町友禅」など地元の織物を重ね合わせ、・・・』と公式ガイドブックに載せられている。
夜に出歩くことが億劫になっていて、その作品を観られていないのだが、ホールの緞帳作品を観に行ったら、あいにく学生の吹奏楽リハーサルがあり、緞帳は上がっていて観られなかった。
受付の人は「申し訳ありません」と言うけれど納得いかない気分で、しかし確かにガイドには(イベント開催時は非公開)とあるから仕方ない。
先に書いた庇はガラス壁面で内部と仕切られていて、内部の回廊は拉致被害者の写真パネル展示場になっていた。
横田めぐみさん家族の幸せだった頃の多くの写真や、曽我ひとみさんが拉致被害後行方不明の母みよしさんに抱かれている写真があった。
長い間、展示されたままになっているようで、傾いているパネルもあり、それを直しながら観ていったが、誰もやってこない長い回廊だった。
1960年代から始められた拉致は、最短距離の新潟県で一番多く行われたのだろうか。
1973年に私は友人と2人で佐渡の日本海側の外海府巡りの旅行をして、誰もいない岩場で泳いだりもした。
数百人もいる、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない人たちを言う特定失踪者のリストに我々が入る可能性はあったはず。
室内の回廊は多くの闇に包まれたままの犠牲者たちの展示で、外は日没と同時に繰り広げられる光の芸術。