和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

最近「週刊朝日」。

2007-05-05 | 朝日新聞
朝日新聞の古新聞をもらって来ては読みます。
テキストとしての朝日新聞は、寝かして、時間をずらせて読むと、ちょうど読みごろになるのでした。たとえば、産経新聞の気になる2つのコラム。
2007年4月26日「産経抄」と
4月28日「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」。
そこでは、最近の「週刊朝日」がどのようになってしまっているのか。その構造を見る思いがします。内容は、4月24日の「週刊朝日」広告と、次の25日朝日新聞のベタ記事「おわび」について語られておりました。
どちらのコラムも、普通の読者には忘れられても可笑しくない、2年前のNHK問題を取上げて関連を示しておりました。あのNHK問題とは「日本軍の慰安婦問題を取り上げたNHKの番組が、政治的圧力で改変されたとかみついた朝日の記事掲載」のことです。具体的には朝日新聞が2005年の「1月12日付朝刊で、4年前にNHK教育テレビで放送された慰安婦を扱った番組について、中川昭一経済産業相と安部晋三自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼び、圧力をかけたという趣旨の記事を載せた」(2005.3.18産経・主張)ところが、4年前の記録で中川氏が会ったのは放送前ではなく、放送後三日後だったことが判明したのでした。それでも朝日新聞の社説は、どうだったのか。忘れてはならない朝日の主張を繰り返してみましょう。
「朝日新聞は正確な取材をもとに、間違いのない報道を心がけてきた。報道の内容に自信を持っている。・・ことの本質を見失ってはならない。問われているのは、NHKと政治家の距離の問題である。」(2005.1.22朝日新聞社説)
それから、そのままの主張を繰り返すのでした。
次は、読売新聞2005年7月26日の社説。それは、ようやく朝日新聞の検証記事が掲載されたのを受けての社説でした。「朝日は、安部氏らに報道を全面否定された直後から、『事の本質はNHKと政治との距離』と、論点をそらすような主張を繰り返してきた。社会部長の結語も、その延長線上の『自己完結』としか受け取れない。『取材・報道への指摘について』の記事の中でも、『呼び出し』や『中川氏の放送前日の面会』を裏付ける新たな情報やデータは得られなかったと、朝日自身が認めている。にもかかわらず、報道の前後に、安部氏らが取材に語った内容が『相互に矛盾がない』などとして、記事の訂正の必要性を否定した。」

そういえば、こんな記事もあったのでした。
「朝日が平成12年から13年にかけて『週刊朝日』に連載した企画『世界の家族』をめぐり、消費者金融会社の武富士から5000万円編集協力費を受け取っていながら、然るべき対応をしていない問題が浮上している。これも新聞全体の信用にかかわる問題だが、朝日は『不手際』を認めたものの、納得のゆく説明をしていない。」(2005年2月2日産経主張「朝日NHK問題 いいわけに終始している」)



だいぶ2年前の記事にこだわりました。そうこう思っているうちに、
さて、2007年の4月後半の朝日新聞の古新聞がとどいたわけです。
問題の週刊朝日の広告が載った4月24日の朝日新聞を見てみました。
まず、その日の天声人語に、こんな言葉があります。

「関西テレビの捏造問題を機に、政府は放送法改正案を国会に提出して会期中の成立をめざしている。国の規制を強めようとする法案である。テレビ側にも問題はあるが、表現の自由の阻害を心配する声も大きい。・・ガラの悪さを正すのは、国家権力ではなく、作る側の良識と、見る側の批評眼でありたいものだ。」

そう、その同じ日の朝日新聞に、作る側の良識には期待できないものの、見る側の批評眼を期待したくなる週刊朝日の広告がのるのです。
それはもう普通の新聞読者が、この2年前のことを振り返らなくなったころを計算したかのような按配で、何げなく「週刊朝日」の広告が掲載されたのでした。
広告全体の十分の三くらいのスペースでそれはありました。「総力特集 長崎市長射殺事件と安部首相秘書との『接点』」「城尾容疑者所属の山口組系水心会と背後にある『闇』を警察庁幹部が激白!」とあります。黒地に白抜きの大文字ですから、パッとみると全体の三分の一のスペースをとっているようにも見えます。

問題は次の日の朝日新聞のベタ記事。

ここまで引用してきたのですから、
丁寧に全文。朝日新聞4月25日第二社会面のベタ記事を引用します。
指摘がなければ、見すごしてしまう場所にそれは、ありました。

「安部首相は24日夜、今週の『週刊朝日』に掲載された伊藤一長・前長崎市長を銃殺した容疑者の所属している暴力団と安部首相の秘書をめぐる報道について『週刊朝日の広告を見て愕然とした。全くのでっち上げで捏造だ。驚きとともに憤りを感じている』と強く批判した。首相官邸で記者団に語った。首相は『私や私の秘書がこの犯人や暴力団組織と関係があるのなら、私は直ちに首相も衆院議員も辞める考えだ。関係を証明できないのであれば、潔く謝罪して頂きたい』と述べた。さらに首相は『私や私の秘書に対する中傷でしかない記事だ。いわば言論によるテロではないかと思う』と強く反発した。」

そのあとに、山口一臣・週刊朝日編集長の話とあり。その全文。

「一部広告の見出しに安部首相が射殺犯と関係があるかのような不適切な表現がありました。関係者のみなさまにおわびいたします。」


以上が新聞からでした。
「言論によるテロではないか」と首相に名指しされた「週刊朝日」。
情けないけれども、認めましょう。これが最近の「週刊朝日」でした。



もうすこし、蛇足を加えておきます。

思い出すのは「池上彰の新聞勉強術」(ダイヤモンド社)。
そこで、池上さんはベタ記事を「私がもっとも愛する記事です」としておりました。
そして、国際面のベタ記事を語った箇所には、こうありました。

「事実だとすれば、『民主主義国アメリカ』の自己否定にもつながる一大事です。国際的なスキャンダルに発展する内容です。紙面の編集者は、あまりの衝撃的なニュースのために真偽を疑い、大きく扱うことをためらったのかもしれません。それでも、取り上げないと、後になって大問題になったときにニュース判断を問われることになりかねませんから、『ニュースとして取り上げておいた』というアリバイ証明的に、小さく掲載したとしか思えません。」(p84)

テキスト「朝日新聞」を読むには、欠かせないのが、ベタ記事のようです。
これからは、もらってきた朝日の古新聞をベタ記事のほうから読んでいけばいいんだ。
と、楽しみ方を教わりました。新聞は楽しいんだ。それにしても「アリバイ証明」としてのベタ記事とは、新聞読みの池上彰さんからの貴重な指摘。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする