朝日新聞の古新聞が届きました。
さっそく、5月10日の例の個所をさがしたわけです。
一度全体を見渡して、気づかずに改めて第二社会面を覗くとありました。
ここは、後学のために引用しておかなければ。
「週刊朝日は5月4日・11日合併号で、元秘書が、銃撃容疑者の所属する暴力団から脅迫を受けていたとする記事を掲載。・・これに対し、首相側は記事の内容を全面否定し、週刊朝日と朝日新聞に抗議した。」
朝日新聞の注目。第二社会面のベタ記事扱い。見出しは「首相秘書らが本社など提訴」と小さくありました。ていねいに読んでみても、朝日新聞が正しく、首相側が間違っているという記事としてしか読みとれないのでした。
朝日新聞が引用した首相の言葉というのが、あります(部分引用がうますぎです)。
この箇所も、後学のために書き留めておきます。
「私の秘書にも人権があるし、家族もいる。まったく関係ない暴力団とあたかも関係があったかのように報じられている。まったく事実無根で捏造だと思う」
「記事の内容を全面否定し」と強調し、首相の言葉にある「まったく」の繰返しをたくみに記事に反映させる手腕。「全面否定」という箇所をかってに取り上げておいて、「まったく」という使い方にむすびつける秀作。そして啓蒙的な優位に朝日新聞がいるというような雰囲気を醸す記事を作っております。これが朝日新聞の文章力。
岩波新書から昭和34年に出た清水幾太郎著「論文の書き方」という古い本。現在もちゃんと注文すれば買えます。これ、あまりにも有名なためか、講談社の「清水幾太郎著作集」(1993年)では、省かれておりました。その新書の中に、こんな言葉が拾えます。
「新聞の文章は現代の美文である。その用語や表現には新聞独特の思想が浸み込んでいる。・・本当に文章を勉強しようとするなら、過去の人々が美文の壁を突き破ったように、今は現代の美文の壁を突き破らなければならない。」(p48)
「バカの壁」というのは、養老孟司さんでした。
清水幾太郎さんは昭和34年に「現代の美文の壁」という指摘をしておりました。
この昭和34年という頃を、ここで、もう一度反芻してみます。
司馬遼太郎の講演に「週刊誌と日本語」がありました。
そこで司馬氏は桑原武夫氏にこう聞いております。
「共通の文章日本語ができそうな状況になったのは昭和25年ぐらいではないでしょうか」と。以下は講演のままに引用してみます。
「この時代に共通の日本語ができつつあったのではないかと桑原さんに言ったところ、桑原さんは言いました。『週刊誌時代がはじまってからと違うやろか』。昭和32年から昭和35年にかけてぐらいではないかと言われるものですから、私も意外でした」。そして、このあとに西堀栄三郎さんのエピソードをもってきておりました。この司馬さんの講演の最後には、こんな言葉がありました。
「平易さと明晰さ、論理の明快さ。そして情感がこもらなくてはなりません。絵画でも音楽でもそうですが、文章もひとつの快感の体系です。不快感をもたらすような文章はよくありません」。
そういう魅力の文章を書くのに、どうすればよいのか。
その一つの道筋に清水幾太郎著「論文の書き方」があると、私は思うわけです。
そういえば、清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)には
「私の考えでは、新聞の文体だけは真似しない方がよいと思います」(p29)
とありました。ここでは、その新聞を朝日新聞と指定したいと、私は思います。
さっそく、5月10日の例の個所をさがしたわけです。
一度全体を見渡して、気づかずに改めて第二社会面を覗くとありました。
ここは、後学のために引用しておかなければ。
「週刊朝日は5月4日・11日合併号で、元秘書が、銃撃容疑者の所属する暴力団から脅迫を受けていたとする記事を掲載。・・これに対し、首相側は記事の内容を全面否定し、週刊朝日と朝日新聞に抗議した。」
朝日新聞の注目。第二社会面のベタ記事扱い。見出しは「首相秘書らが本社など提訴」と小さくありました。ていねいに読んでみても、朝日新聞が正しく、首相側が間違っているという記事としてしか読みとれないのでした。
朝日新聞が引用した首相の言葉というのが、あります(部分引用がうますぎです)。
この箇所も、後学のために書き留めておきます。
「私の秘書にも人権があるし、家族もいる。まったく関係ない暴力団とあたかも関係があったかのように報じられている。まったく事実無根で捏造だと思う」
「記事の内容を全面否定し」と強調し、首相の言葉にある「まったく」の繰返しをたくみに記事に反映させる手腕。「全面否定」という箇所をかってに取り上げておいて、「まったく」という使い方にむすびつける秀作。そして啓蒙的な優位に朝日新聞がいるというような雰囲気を醸す記事を作っております。これが朝日新聞の文章力。
岩波新書から昭和34年に出た清水幾太郎著「論文の書き方」という古い本。現在もちゃんと注文すれば買えます。これ、あまりにも有名なためか、講談社の「清水幾太郎著作集」(1993年)では、省かれておりました。その新書の中に、こんな言葉が拾えます。
「新聞の文章は現代の美文である。その用語や表現には新聞独特の思想が浸み込んでいる。・・本当に文章を勉強しようとするなら、過去の人々が美文の壁を突き破ったように、今は現代の美文の壁を突き破らなければならない。」(p48)
「バカの壁」というのは、養老孟司さんでした。
清水幾太郎さんは昭和34年に「現代の美文の壁」という指摘をしておりました。
この昭和34年という頃を、ここで、もう一度反芻してみます。
司馬遼太郎の講演に「週刊誌と日本語」がありました。
そこで司馬氏は桑原武夫氏にこう聞いております。
「共通の文章日本語ができそうな状況になったのは昭和25年ぐらいではないでしょうか」と。以下は講演のままに引用してみます。
「この時代に共通の日本語ができつつあったのではないかと桑原さんに言ったところ、桑原さんは言いました。『週刊誌時代がはじまってからと違うやろか』。昭和32年から昭和35年にかけてぐらいではないかと言われるものですから、私も意外でした」。そして、このあとに西堀栄三郎さんのエピソードをもってきておりました。この司馬さんの講演の最後には、こんな言葉がありました。
「平易さと明晰さ、論理の明快さ。そして情感がこもらなくてはなりません。絵画でも音楽でもそうですが、文章もひとつの快感の体系です。不快感をもたらすような文章はよくありません」。
そういう魅力の文章を書くのに、どうすればよいのか。
その一つの道筋に清水幾太郎著「論文の書き方」があると、私は思うわけです。
そういえば、清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)には
「私の考えでは、新聞の文体だけは真似しない方がよいと思います」(p29)
とありました。ここでは、その新聞を朝日新聞と指定したいと、私は思います。