毎日新聞2007年5月20日「日曜くらぶ」に連載中の「あの人に会う」は、青木繁の3回目。そこに石橋エータローの名前が出てきます。
「福田たねは1905年、繁との間に幸彦を生む。幸彦は福田蘭童と名乗り、ラジオドラマのテーマ曲の作曲などで活躍。彼の息子がクレージーキャッツの石橋エータローだ。」
ちょいと、エータローについて2冊ほど引用してみます。
川本三郎著「火の見櫓の上の海」(NTT出版)。
そこにこんな箇所があります。
「布良の漁港から、浜辺を歩いて、自動車道路に戻るようにして坂を上がると、ユースホステルがあり、その近くに、コンクリートの鳥居のようなモニュメントが建っている。昭和37年(1962年)十月、没後五十年にあたって青木繁の後輩にあたる画家辻永らが建てた記念碑で、除幕式には、当時、八十歳を過ぎた福田たねと、彼と青木繁の子ども、福田蘭童が参加したという。福田蘭童は尺八の名手で作曲家。私などの世代には、子どものときに夢中になって聞いたNHKのラジオ・ドラマ『笛吹童子』の主題歌の作曲家として知られる。戦前の松竹の人気スター、清楚な抒情美人の川崎弘子と結婚。その子どもがクレージーキャッツの石橋エータローである。福田蘭童は、釣り好き、料理好き(志賀直哉のためにフグを釣って料理したことがある)で、渋谷に三魚洞(さんぎょどう)という活きのいい魚を食べさせる店を作ったが、これも『海の幸』の縁といえようか。・・・・」(p200~201)
もう一冊引用しておきます。小林信彦著「日本の喜劇人」(新潮文庫)から。
昭和34年の2月のことを取り上げておりました。
「新宿のジャズ喫茶『ABC(アシベ)』では、<クレージーキャッツ>というコミックバンドが若い客相手に奇妙なギャグ入り演奏をみせていた。『ショージョージ』『十二番街のラグ』など、ネタは多くないが、テレビで知られだしており、客の質も良かった。ハナ肇が、創立当時の渡辺プロから三十万円借りて、おふざけバンド<キューバン・キャッツ>を作ったのは30年4月。半年後、<クレージー・キャッツ>と改名した。<キューバン>創立当時のメンバーで、あとまで残ったのは、犬塚弘ひとりである。<シティ・スリッカーズ>解散のごたごたから、植木等しと谷啓が入ってきた。・・・33年秋にかたまったメンバーは、次の通り
ドラム ハナ肇
ギター 植木等
トロンボーン 谷啓
ベース 犬塚弘
サックス 安田伸
ピアノ 石橋暎太郎
この中で、もっとも俗受けしていたのは、現在、辞めて、料理人として著名な石橋エータローである。女形(おやま)風の歩き方で舞台を横切るだけで、どっとウケたのだから、幸せであった。・・・」(p139~140)
それにしても、「海の幸」、「三魚洞」、そして料理人エータローと、興味深い。
さて、クレージー・キャッツが出てきたので、
このつぎは、植木等について書いてみたいと思うわけです。
「福田たねは1905年、繁との間に幸彦を生む。幸彦は福田蘭童と名乗り、ラジオドラマのテーマ曲の作曲などで活躍。彼の息子がクレージーキャッツの石橋エータローだ。」
ちょいと、エータローについて2冊ほど引用してみます。
川本三郎著「火の見櫓の上の海」(NTT出版)。
そこにこんな箇所があります。
「布良の漁港から、浜辺を歩いて、自動車道路に戻るようにして坂を上がると、ユースホステルがあり、その近くに、コンクリートの鳥居のようなモニュメントが建っている。昭和37年(1962年)十月、没後五十年にあたって青木繁の後輩にあたる画家辻永らが建てた記念碑で、除幕式には、当時、八十歳を過ぎた福田たねと、彼と青木繁の子ども、福田蘭童が参加したという。福田蘭童は尺八の名手で作曲家。私などの世代には、子どものときに夢中になって聞いたNHKのラジオ・ドラマ『笛吹童子』の主題歌の作曲家として知られる。戦前の松竹の人気スター、清楚な抒情美人の川崎弘子と結婚。その子どもがクレージーキャッツの石橋エータローである。福田蘭童は、釣り好き、料理好き(志賀直哉のためにフグを釣って料理したことがある)で、渋谷に三魚洞(さんぎょどう)という活きのいい魚を食べさせる店を作ったが、これも『海の幸』の縁といえようか。・・・・」(p200~201)
もう一冊引用しておきます。小林信彦著「日本の喜劇人」(新潮文庫)から。
昭和34年の2月のことを取り上げておりました。
「新宿のジャズ喫茶『ABC(アシベ)』では、<クレージーキャッツ>というコミックバンドが若い客相手に奇妙なギャグ入り演奏をみせていた。『ショージョージ』『十二番街のラグ』など、ネタは多くないが、テレビで知られだしており、客の質も良かった。ハナ肇が、創立当時の渡辺プロから三十万円借りて、おふざけバンド<キューバン・キャッツ>を作ったのは30年4月。半年後、<クレージー・キャッツ>と改名した。<キューバン>創立当時のメンバーで、あとまで残ったのは、犬塚弘ひとりである。<シティ・スリッカーズ>解散のごたごたから、植木等しと谷啓が入ってきた。・・・33年秋にかたまったメンバーは、次の通り
ドラム ハナ肇
ギター 植木等
トロンボーン 谷啓
ベース 犬塚弘
サックス 安田伸
ピアノ 石橋暎太郎
この中で、もっとも俗受けしていたのは、現在、辞めて、料理人として著名な石橋エータローである。女形(おやま)風の歩き方で舞台を横切るだけで、どっとウケたのだから、幸せであった。・・・」(p139~140)
それにしても、「海の幸」、「三魚洞」、そして料理人エータローと、興味深い。
さて、クレージー・キャッツが出てきたので、
このつぎは、植木等について書いてみたいと思うわけです。