朝日新聞2007年2月1日。
その文化欄に「読めない明日 現代雑誌事情」という特集が組まれていたのです。
折れ線グラフがわかりやすく取り入れられております。
そこからの引用。
「日本ABC協会調べの昨年上半期の平均実売部数を96年と比べると、劇的な変化が読み取れる」とありまして。
「週刊現代」 72万→44万
「週刊ポスト」 86万→40万
「non・no] 94万→34万
「With」 74万→36万
「Toukyo Walker」 40万→8万
とあります。落ち込み部数の折れ線なので、部数増加の雑誌は図に表示されていません。
部数増加の雑誌は新聞の文章のなかにありました。
「週刊新潮」 49万→50万
「週刊文春」 63万→57万(これは、減ですが、それでも多いということでしょう)
「CanCan」 52万→64万
さて、ここで「週刊新潮」2月15日号に登場していただくわけです。
そこでは、この朝日新聞の特集について書かれているわけでして。
新聞には影も形もなかった「週刊朝日」について調べております。
では「週刊新潮」から
「が、これを見て、誰もが不思議に思うことがある。
当の朝日新聞が発行する週刊朝日やアエラのことがなぜか触れられていないのである。記事のどこにも出てこないばかりか、部数の推移を表したこの折れ線グラフの中にさえ登場しないのだ。・・・自社の発行雑誌の部数に関する記述はない。」
そしてABC調査によるととして
「週刊朝日」の94年上半期には、40万812部あった部数が、昨年上半期には20万8972部と、見事に半減していることを確認しております。
さらにこう書くのでした。
「アエラにいたっては、部数の公表さえしていない。週刊朝日は昭和30年代前半、扇谷正造編集長時代に実売150万部を誇ったこともある雑誌である。それが今や20万部台からも転がり落ちそうな瀕死の状態とは、さすがに記述できなかったのだろうか」
つぎに、週刊新潮はちゃんと聞き取りをしておりました。
「朝日新聞広報部によると、『多くの読者の念頭に浮かんでくるのは、大部数を発行している出版社系の雑誌であり、そのため雑誌業界を総覧するようなテーマの場合、これまでも新聞社系の雑誌はほとんど取り上げてきておりません』のだそうだ。実に姑息な報道の仕方だが、こういうやり方は、いわば朝日新聞のお家芸ともいえるものである」
こうして昨日の書き込みの「姑息さ」の内容が「週刊新潮」でつづくのでした。
近頃売り出し中の月刊雑誌「WILL」も、そういえば部数を伸ばしているようですから、朝日新聞の「お家芸の姑息さ」に辟易している読者が、堂々と言葉で対峙している雑誌を読み。バランスをとって、溜飲をさげているのだと、自分の場合を思いながら納得するのです。
知らざあ、言って聞かせやしょう。
この新聞が、何げなく「言論のテロ」をたくらむ確信犯だとは。
そりゃあ、お釈迦さまでも御存知あるめい。チョンチョン。
その文化欄に「読めない明日 現代雑誌事情」という特集が組まれていたのです。
折れ線グラフがわかりやすく取り入れられております。
そこからの引用。
「日本ABC協会調べの昨年上半期の平均実売部数を96年と比べると、劇的な変化が読み取れる」とありまして。
「週刊現代」 72万→44万
「週刊ポスト」 86万→40万
「non・no] 94万→34万
「With」 74万→36万
「Toukyo Walker」 40万→8万
とあります。落ち込み部数の折れ線なので、部数増加の雑誌は図に表示されていません。
部数増加の雑誌は新聞の文章のなかにありました。
「週刊新潮」 49万→50万
「週刊文春」 63万→57万(これは、減ですが、それでも多いということでしょう)
「CanCan」 52万→64万
さて、ここで「週刊新潮」2月15日号に登場していただくわけです。
そこでは、この朝日新聞の特集について書かれているわけでして。
新聞には影も形もなかった「週刊朝日」について調べております。
では「週刊新潮」から
「が、これを見て、誰もが不思議に思うことがある。
当の朝日新聞が発行する週刊朝日やアエラのことがなぜか触れられていないのである。記事のどこにも出てこないばかりか、部数の推移を表したこの折れ線グラフの中にさえ登場しないのだ。・・・自社の発行雑誌の部数に関する記述はない。」
そしてABC調査によるととして
「週刊朝日」の94年上半期には、40万812部あった部数が、昨年上半期には20万8972部と、見事に半減していることを確認しております。
さらにこう書くのでした。
「アエラにいたっては、部数の公表さえしていない。週刊朝日は昭和30年代前半、扇谷正造編集長時代に実売150万部を誇ったこともある雑誌である。それが今や20万部台からも転がり落ちそうな瀕死の状態とは、さすがに記述できなかったのだろうか」
つぎに、週刊新潮はちゃんと聞き取りをしておりました。
「朝日新聞広報部によると、『多くの読者の念頭に浮かんでくるのは、大部数を発行している出版社系の雑誌であり、そのため雑誌業界を総覧するようなテーマの場合、これまでも新聞社系の雑誌はほとんど取り上げてきておりません』のだそうだ。実に姑息な報道の仕方だが、こういうやり方は、いわば朝日新聞のお家芸ともいえるものである」
こうして昨日の書き込みの「姑息さ」の内容が「週刊新潮」でつづくのでした。
近頃売り出し中の月刊雑誌「WILL」も、そういえば部数を伸ばしているようですから、朝日新聞の「お家芸の姑息さ」に辟易している読者が、堂々と言葉で対峙している雑誌を読み。バランスをとって、溜飲をさげているのだと、自分の場合を思いながら納得するのです。
知らざあ、言って聞かせやしょう。
この新聞が、何げなく「言論のテロ」をたくらむ確信犯だとは。
そりゃあ、お釈迦さまでも御存知あるめい。チョンチョン。