え~と。9月1日のNHKクローズアップ現代。
普段はとんと見てないのですが、その日はコピペを取り上げており、興味から見ました。コピー&ペーストでもって、宿題の感想文なりを簡単に仕上げてしまうという問題点を指摘しながら展望を有識者に聞いております。
しばらくして、私は辞書編纂についてなら、昔からコピペ天国だったのじゃないかと思い浮かんだのでした。
ということで原田種成著「漢文のすすめ」(新潮選書・古本)の「諸橋『大漢和辞典』編纂秘話」の箇所を思い出したのでした。これは第二章なのですが、読み甲斐がありまして、コピペ問題以外にも様々な発想が刺激されるのでした。残念ながらここでは一箇所のみ引用。
「一年に一度ぐらい、諸橋先生が近藤先生、原さん、川又さん、大島・佐々木と私の編纂関係者を九段下にあった『維新号』という中華料理店に招待してくれた。この店は内部に装飾が少しもない殺風景な店であったが、『味は私が北京留学中に味わった本場の味と同じだ』ということであった。このときの歓談の中で聞いたことであるが、『大日本国語辞典』を編纂して冨山房から出版した松井簡治氏(この本は上田万年と共著になっているが、実は松井が独力で編纂したもの)は、東京高等師範学校以来の同僚として先生と親しかったが、その松井簡治氏が『諸橋君、きみは大きな辞書を作っているそうだが、完成したら必ず自分の手で、その要約版(ダイジェスト版)を作りなさい。私はそれをしなかったために、これこのように、私が永年苦辛して集めたり解釈を施した語彙を、すっかり盗まれてしまった』と新村出著の『辞苑』(『広辞苑』の前身)の真っ赤に書き込みをしたものを見せてくれた。だから『大漢和辞典』が完成したら、ぜひ要約版も作りたいと話されたのである。
まさか新村氏自身が『大日本国語辞典』から盗んだのではないと思うが、頼まれて協力した人たちが安易に『大日本国語辞典』から語彙や語釈を取って『辞苑』をこしらえたのであろうと思われる。洋の東西、辞典編纂には必ずこういう話がつきまとう。」(p119)
ということで、現在のパソコン上で、安易に出来るコピー&ペースト問題は、松井簡治氏の『大日本国語辞典』と『辞苑』(広辞苑)の辞書編纂問題として、古くからあった視点であります。
ちなみに、現在発売中の文藝春秋SPECIAL「素晴らしき日本語の世界」(1000円)には、紀田順一郎氏が「辞書界の巨人たち」という題で、雑誌のところどころにコラムを五回にわけて書いておりました。そこの「新村出と『広辞苑』」には新村出(しんむらいずる)が紹介されております。
「明治29年東京帝大文科大学博言語科に入り、上田万年(かずとし)に学んだ」とあります。昭和のはじめに岡書院の社長岡茂雄から辞書編纂の申し出。「もっと大型の辞書を理想としていた新村は、気乗りせず固辞したが、最終的には教え子の溝江八男太が手伝ってくれるという条件で承諾した。溝江は教育者としての体験から、百科項目を加えた国語辞典の必要性を痛感していたので、二つ返事で引き受けた。前後四年間にわたる編纂作業の途中、岡は辞書の規模が予想よりも大きくなるのを知って、この企画を博文館に譲ってしまった。・・・・戦後、この辞典は岩波書店が引受け・・・『広辞苑』と変更された・・・一冊で間に合う机上辞書として、広く普及した。・・・」(p143)
コピペとは別に原田種成氏の「漢文のすすめ」にある「『大漢和辞典』編纂秘話」には辞典づくりのお金の出所から、どのくらいの金額がかかるかとか、さまざまな角度から分かりやすく書き込まれており、引き入れられます。
普段はとんと見てないのですが、その日はコピペを取り上げており、興味から見ました。コピー&ペーストでもって、宿題の感想文なりを簡単に仕上げてしまうという問題点を指摘しながら展望を有識者に聞いております。
しばらくして、私は辞書編纂についてなら、昔からコピペ天国だったのじゃないかと思い浮かんだのでした。
ということで原田種成著「漢文のすすめ」(新潮選書・古本)の「諸橋『大漢和辞典』編纂秘話」の箇所を思い出したのでした。これは第二章なのですが、読み甲斐がありまして、コピペ問題以外にも様々な発想が刺激されるのでした。残念ながらここでは一箇所のみ引用。
「一年に一度ぐらい、諸橋先生が近藤先生、原さん、川又さん、大島・佐々木と私の編纂関係者を九段下にあった『維新号』という中華料理店に招待してくれた。この店は内部に装飾が少しもない殺風景な店であったが、『味は私が北京留学中に味わった本場の味と同じだ』ということであった。このときの歓談の中で聞いたことであるが、『大日本国語辞典』を編纂して冨山房から出版した松井簡治氏(この本は上田万年と共著になっているが、実は松井が独力で編纂したもの)は、東京高等師範学校以来の同僚として先生と親しかったが、その松井簡治氏が『諸橋君、きみは大きな辞書を作っているそうだが、完成したら必ず自分の手で、その要約版(ダイジェスト版)を作りなさい。私はそれをしなかったために、これこのように、私が永年苦辛して集めたり解釈を施した語彙を、すっかり盗まれてしまった』と新村出著の『辞苑』(『広辞苑』の前身)の真っ赤に書き込みをしたものを見せてくれた。だから『大漢和辞典』が完成したら、ぜひ要約版も作りたいと話されたのである。
まさか新村氏自身が『大日本国語辞典』から盗んだのではないと思うが、頼まれて協力した人たちが安易に『大日本国語辞典』から語彙や語釈を取って『辞苑』をこしらえたのであろうと思われる。洋の東西、辞典編纂には必ずこういう話がつきまとう。」(p119)
ということで、現在のパソコン上で、安易に出来るコピー&ペースト問題は、松井簡治氏の『大日本国語辞典』と『辞苑』(広辞苑)の辞書編纂問題として、古くからあった視点であります。
ちなみに、現在発売中の文藝春秋SPECIAL「素晴らしき日本語の世界」(1000円)には、紀田順一郎氏が「辞書界の巨人たち」という題で、雑誌のところどころにコラムを五回にわけて書いておりました。そこの「新村出と『広辞苑』」には新村出(しんむらいずる)が紹介されております。
「明治29年東京帝大文科大学博言語科に入り、上田万年(かずとし)に学んだ」とあります。昭和のはじめに岡書院の社長岡茂雄から辞書編纂の申し出。「もっと大型の辞書を理想としていた新村は、気乗りせず固辞したが、最終的には教え子の溝江八男太が手伝ってくれるという条件で承諾した。溝江は教育者としての体験から、百科項目を加えた国語辞典の必要性を痛感していたので、二つ返事で引き受けた。前後四年間にわたる編纂作業の途中、岡は辞書の規模が予想よりも大きくなるのを知って、この企画を博文館に譲ってしまった。・・・・戦後、この辞典は岩波書店が引受け・・・『広辞苑』と変更された・・・一冊で間に合う机上辞書として、広く普及した。・・・」(p143)
コピペとは別に原田種成氏の「漢文のすすめ」にある「『大漢和辞典』編纂秘話」には辞典づくりのお金の出所から、どのくらいの金額がかかるかとか、さまざまな角度から分かりやすく書き込まれており、引き入れられます。