和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

セリフなのだ。

2008-09-10 | Weblog
今日9月10日の読売新聞の「緩話急題」文化部石田汗太氏が写真入りで文を寄せておりました。そこに、昨日のブログに書いた続きが読めるのでした。
最後の方にこうあります。

「赤塚さんが食道がん手術を受け、退院した99年、『早くからペンを握ってなかったそうですが・・・・』と、インタビューでおそるおそる聞いたことがある。赤塚さんはうなずき、『オレのギャグの真髄はセリフだから』と言った。赤塚さんの本来のタッチは、アッコちゃんやバカボンのママのようなかわいらしい絵だったという。だが、それでは理想のギャグを表現できない。赤塚さんは高井さんをパートナーとし、古谷さんらのアイデアを借り、自分はネームに専念することで、唯一無二の『赤塚印』漫画を完成させたのだ。高井さんにあえて聞いてみた。自分の作ったキャラクターが、赤塚キャラとして知れ渡っているのは、どんな気持ちですか?『いいものですよ。僕は、友だちとして彼に協力したんだから』研ちゃんお願い、と言われるとなぜか断れなくてね、と高井(研一郎)さん。今よりずっとおおらかな時代、若き漫画バカたちが手を取り合った作品こそ『赤塚不二夫』だった。」

こうして、「セリフだから」という赤塚氏を思い描きながら、文芸春秋10月号のタモリの追悼文を読むと一層感慨深いものがあります。ちょっとその雑誌から引用しておきましょう。

「赤塚不二夫は、いつもギャグの事ばかり考えていました。喉の手術の直後もベッドの上でうれしそうに、面白い話を例の無邪気な笑顔で語っていました。意識不明になる前も、新しい漫画の構想を語っていました。物事の本質を突くするどい事を言うかと思えば、バカかと言いたくなる事も同時に言っていました。」


文芸春秋2008年10月号の、タモリの「追悼これでいいのだ、赤塚不二夫」は、いつかまた再読したい文なのだ。
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