和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

机上整理。

2008-09-22 | Weblog
机上整理。
お菓子の箱とか、葡萄の箱とか。段ボールの小さいの。
それを使って本の整理をする。今日は机上整理。
そんなことをしていると、もらったお菓子の箱などが気になります
(そういえば、ミカンの段ボール箱が丈夫で、引っ越し整理に重宝でした)。
これなら文庫が十冊ぐらいはいるとか。
これなら新書が五冊ぐらいはいるとか。
段ボール箱の小さいのがあると、単行本が入りそうかどうかと
つい値ぶみしている私がおります。
たとえば、新書10冊。
渡部昇一編「ローマの名言一日一言」(到知出版社)
上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)
武村雅之著「地震と防災」(中公新書)
養老孟司・竹村公太郎著「本質を見抜く力」(PHP新書)
谷沢永一著「古典の智恵生き方の智恵」(php新書)
谷沢永一著「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書)
内山節著「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(講談社現代新書)
魚返善雄著「漢文入門」(教養文庫)
高島俊男著「座右の名文」(文春新書)
ドナルド・キーン著「明治天皇を語る」(新潮新書)

以上が「巨峰」の箱の中に並びました。
ひとつだけ、困ることは、箱に入れると、読まない。読み直さない。
まあ、それは今に始まったことじゃなし。
でも、今はいちおう箱に入ったままで机上にあります。

そういえば、谷沢永一著「モノの道理」(講談社インターナショナル)に
こんな箇所がありました。
「蔵書を見ればその人の器量がわかるという話もあります。
私から言わせれば、そんなのは真っ赤なウソである。
蔵書を見て、その人のレベルがわかるはずがない。
しかし大雑把ではあるけれど、判定法がないわけではありません。
ご本人の背後の書棚にどっしりした本がきれいに並んでいたら、
その人はスカタンです。
何やら得体の知れない汚い本が出たり引っ込んだり積んであったら、
その書棚の主は勉強家であると見てまず間違いありません。
教養とは外観(みてくれ)ではなく徹頭徹尾自家用であり自家製ですから、
本を並べてあるだけではダメなのです。」(p102~103)

う~ん。本を箱に入れるスカタンの私ですが
もう少し、つづけます。
週刊誌ぐらいの大きさの雑誌とか本のたぐいは、始末に困ります。
本棚には収まりにくいし、雑誌なら、すぐよりかかって曲りだす。
どうしてもそのサイズの大きさの物はいっしょに箱に入れるに限ります。
ということで、すこし深めの段ボール小にいれた雑誌類。

 新潮社「考える人」3冊
 季刊文芸春秋スペシャル4冊
 週刊現代ムック「栗林忠道からの手紙」(講談社)
「石井林響をめぐる画家たち」(千葉県立美術館)
 別冊太陽「柳宗悦の世界」
「須田剋太『街道をゆく』とその周辺」(朝日新聞社)
「創立百年史」千葉県立安房南高等学校
「鎌倉大仏と阿弥陀信仰」神奈川県立金沢文庫
 文芸春秋臨時増刊「向田邦子ふたたび」
 サライ2008年1月3日号「諸国68州『一宮』詣で」
 本朝三字経

これらも、段ボールの蓋をしてしまうと、視界から消えてしまう。
机上には置くスペースはなし。

伯母の法要があって、曹洞宗のお経本「修証義」を声に出して読んでから、
気になっているのがお経本なのですが、道元禅師の正法眼蔵は、ちょっと読む前から腰が引けてしまうので、

  正法眼蔵随聞記(岩波文庫ワイド版)
  松本章男著「道元の和歌」(中公新書)
  飯田利行著「高校生と正法眼蔵随聞記」

を読み直してみたい気持ちだけはあるのですが、
そういえば、飯田利行には良寛の本があったなあ、と気持はズレてゆきます。
そういえば、道元よりも親鸞の方が、入りやすいのじゃないか?
と思ってみたりします。

  山折哲雄著「親鸞をよむ」(岩波新書)

によると、親鸞は歎異抄よりも、和讃・教行信証から入るべきだとある。
うん。こっちの方が入りやすいかもしれない。
などと、歎異抄も読んだことない癖して、
道元でも親鸞でも、お経でしょうし。などと素人のブンザイで思ったりして。
とても

  古田武彦著「親鸞」(清水書院)
  「教行信証」(岩波文庫ワイド版)
  「親鸞和讃集」岩波文庫

には手がでないだろうなあ。
なあに「棒ほど願えば針ほどかなう」というではありませんか。
願いを書きつけておけばよいのですよね。
ということで、願望の整理もかねて、机上の整理。
コメント
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