和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

弔辞と悼詞。

2008-09-13 | Weblog
京都市にある編集グループSUREより、新刊案内が届いておりました。
なかに、10月中旬発売の鶴見俊輔著「悼詞」(¥3675)の予約注文パンフあり。そういえば、最近新聞掲載された、鶴見俊輔の追悼赤塚不二夫の文が印象鮮やかで「鶴見俊輔氏いまだ健在なり」と思ったのでした。
パンフレットによると「悼詞のあとがきより」という短い引用があり。

「私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。」

目次を見ると、最後の方に赤塚不二夫の名前ありました。亡くなった方々への鶴見俊輔氏の追悼文。その集成であります。

そういえば、丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社)のあとがき代わりの対談で、こうありました。

【井上】これは伝記として素晴らしいんじゃなきですか。
【丸谷】あ、そうですか。なるほど、弔辞は伝記なんだ。
【井上】辻さんという、日本人ではじめてのことを成し遂げた人がいたわけですけど、その人の小さな伝記として、とてもいいなと思いました。朝日の人物事典とか、いろいろ開いて、較べてみました。もちろんそっちもいいんですよ。でも、こういうものでたくさんの人の伝記があったらいいなと思うくらい、いい伝記ですね。
【丸谷】たしかに、弔辞は一種の総決算ですからね。


弔辞と追詞と。
鶴見俊輔氏ご自身が、ご自身の文を繰り返し読みたいという文はどんなものか?という興味。

コメント
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