松岡正剛著「日本という方法」(NHKブックス)を読みました。
日本の歴史文化を俯瞰しながら、
「本来」と「将来」という2つのキーワードを、器用に、まるで箸のようにあやつって、
日本史という生きのよいお刺し身を、テーマごとに盛り分けて提示してゆきます。素材は日本。料理人は松岡正剛。一夜のフルコースの醍醐味を味わえるかどうか。新鮮な読者の味覚を開拓してくれております。
日本の歴史全体を見渡す視点は、鯛でいえば、尾頭(おかしら)つき。
スーパーで切り身のパックを普段見慣れている当方にとっては、それだけで何やら、こちらの居住まいが正されるよう。
まるで普段着で、祝宴にまぎれこんでしまったけれども、そうしたとまどいも、祝宴のスピーチに聞きほれて、すぐに忘れてしまうような始末。
そういえば、小林秀雄著「本居宣長」のチンプンカンプンを、わかりやすく解き明かしてもらったような読後感が、私にはありました。さて、読後に要約しようとすると、これが、鯛の頭と骨と尾が残っている構図しか思い浮かばなかったりします(笑)。ということで、要約なんかしないことにして、松岡氏の「母の溜息」が登場する箇所を引用して終ります。
「公家社会に武家が交じってくると、無常はそこらじゅうに充満していて、むしろその無常をどのように変じていくかという苦心工夫のほうが目立ってきたほどなのです。こうして『山川草木悉皆成仏』や『己心の浄土』の感覚は、その後の日本の遊芸、すなわち能、連歌、茶の湯、立花、作庭、陶芸など、まことに広い分野で生かされていきます。私の母は茶や花や俳諧などいろいろ嗜んでいた人ですが、景色のよい茶碗や見事に活けてある花を前にすると、しばしば『ええ浄土やなあ』と溜息をついていたものでした。日本の浄土はかくのごとく悉皆浄土(しっかいじょうど)となっていったのです。」
日本の歴史文化を俯瞰しながら、
「本来」と「将来」という2つのキーワードを、器用に、まるで箸のようにあやつって、
日本史という生きのよいお刺し身を、テーマごとに盛り分けて提示してゆきます。素材は日本。料理人は松岡正剛。一夜のフルコースの醍醐味を味わえるかどうか。新鮮な読者の味覚を開拓してくれております。
日本の歴史全体を見渡す視点は、鯛でいえば、尾頭(おかしら)つき。
スーパーで切り身のパックを普段見慣れている当方にとっては、それだけで何やら、こちらの居住まいが正されるよう。
まるで普段着で、祝宴にまぎれこんでしまったけれども、そうしたとまどいも、祝宴のスピーチに聞きほれて、すぐに忘れてしまうような始末。
そういえば、小林秀雄著「本居宣長」のチンプンカンプンを、わかりやすく解き明かしてもらったような読後感が、私にはありました。さて、読後に要約しようとすると、これが、鯛の頭と骨と尾が残っている構図しか思い浮かばなかったりします(笑)。ということで、要約なんかしないことにして、松岡氏の「母の溜息」が登場する箇所を引用して終ります。
「公家社会に武家が交じってくると、無常はそこらじゅうに充満していて、むしろその無常をどのように変じていくかという苦心工夫のほうが目立ってきたほどなのです。こうして『山川草木悉皆成仏』や『己心の浄土』の感覚は、その後の日本の遊芸、すなわち能、連歌、茶の湯、立花、作庭、陶芸など、まことに広い分野で生かされていきます。私の母は茶や花や俳諧などいろいろ嗜んでいた人ですが、景色のよい茶碗や見事に活けてある花を前にすると、しばしば『ええ浄土やなあ』と溜息をついていたものでした。日本の浄土はかくのごとく悉皆浄土(しっかいじょうど)となっていったのです。」