和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読んでくれえ。

2009-09-30 | Weblog
徳岡孝夫著「薄明の淵に落ちて」(新潮社・1991年)を、あちこち前後しながら、読了。ご自身のことを語って「平々凡々たるというより、ジャーナリストとしてあまり成功せず社会的な出世もしなかった私」(p11)とあります。
うん。私は雑誌のコラム「紳士と淑女」の著者が徳岡氏だと分かってから、はじめて氏の本を読みだしました。いままで私は何を読んでいたのだろう。と思うような気分で、一冊一冊新鮮な味わい。


「健全な視力を持って自発的に入っていった病院を、全盲ではないにしても盲人として出る。・・・・我が家のドアに達するまでに十段の階段がある。かつてはテニス・パンツで駆け上がったその段を、いまは一段ずつ手をつなぎながら這って上がらねばならなかった。勝手知った家の中の椅子、電気スタンド、壁の絵などはぼんやり見えるが、すべて輪郭はにじみ、しかも手前になるにつれてぼやけていた。・・・書斎に入ってデスクの前に腰を下ろす。壁を埋める本の背の題字が、一冊として読めなかった。本棚の本が一斉に『読んでくれえ』と叫んでいた。だが応えてやることはできないのだ。試しに一冊を抜き取って開くと、一ページに何行あるかはぼんやりわかるが、字は一字として読めなかった。・・・長年かかって集め愛してきた蔵書が一切合財読めなくなった打撃は、それほども強烈だった。
その後、眼科の医者が分厚い眼鏡を処方してくれ、ルーペの使い方も覚えたから、ゆっくりとではあるが本や新聞が読めるようになった。だが眼球の動きが鈍いためか、新聞ひとつでさえまるでヨウカンを読むようで、『政府・税調・の・答申の・基本的・考え方・は』と、端から順に少しずつ切って読んでいって、一行が終わるたびに次の行の頭をさがさなければならない。棚線のない新聞記事は、一行をずっと上から下まで読んでしまうので、二つの記事がごっちゃになる。・・・・
このさき何をして・・・あるいは何を書いて生きるか。
・・・・・
現にこうやって書いている原稿は、私にとって職業人になって以来はじめて、メモ【という情報の記録】を見ずに書く原稿である。私は読者を騙しているような後ろめたさを禁じ得ない。」(~p47)

このあとの「薄明の底より」も、もう一度読み直してみたい。
二章「無銘碑」は、7人を取り上げて書かれ、どれもジャーナリストとして
意外な切り込みで対象を探り出し、さらりと印象深いのですが、
私は「日米下田会議の演出者」として、山本正氏を取り上げる文がよかったです。
これらも、薄明の中に手探りで書かれた文だと思うと、その軽快な文章の流れに、あらてめて驚かされたりするのでした。

次に読もうと、さっそく徳岡孝夫著「舌づくし」を古本屋へと注文しました。
コメント
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