山本夏彦著「愚図の大いそがし」(文藝春秋)のなかに
「私の文章作法(一)(二)」という文が載っております。
そのはじまりを引用。
「故人清水幾太郎は『私の文章作法』のなかで、言葉に好き嫌いのある人なら文章が書けるだろう、その見込みがあると言って・・・『原点』『空洞化』『虚像と実像』『ふまえて』『きめこまかな』『それを○○のたたき台にして』――これらはたとえ千金をつまれても私は口にしない、また筆にしないと書いていた。
もっともである。けれどもこの言いぶんを『原点』以下の書き手に承知させるのは困難である。わがマスコミ界は清水のきらいな言葉にみちみちて、これが改まるのは『文化』全体が熟するよりほかない・・・」
ここでは、直していかなければならい『言葉』ということで、
徳岡孝夫著「完本 紳士と淑女 1980‐2009」(文春新書)から、マスコミの例文をとりあげてみたいのです。ちょうど、新書「紳士と淑女」の1980年代で取り上げられているコラムがテキストとして、よい例文を提供してくれております。
1981年10月号
「どの新聞も、この後継者争いの刻一刻の状況を、夜討ち朝駆けで報じてくれないのが残念だ。日本最大の暴力団、山口組組長、田岡一雄、六十八歳の死。
『警察庁は、直ちに山口組内部や他の暴力団との抗争が火を噴くことはまずないと見ている。しかし、田岡組長個人との関係で山口組に属していた組や幹部もいずれは去り、同組に対抗する暴力団も勢力伸張をうかがっていることから、やがて暴力団地図は塗りかえられる可能性が大きいとしている』(朝日7月24日)
若きジャーナリスト諸兄姉よ、よく読んでおくがいい。これが『無難な記事』のお手本だ。」(p37)
80年代のこのコラムでは、注意すべきは読者諸君にではなくて、若きジャーナリスト諸君へと語りかけているのでした。
先に引用した山本夏彦氏の文をもう一度思い返していただきたい。
「けれどもこの言いぶんを『原点』以下の書き手に承知させるのは困難である。わがマスコミ界は清水のきらいな言葉にみちみちて、これが改まるのは『文化』全体が熟するよりほかない・・」。ここに「わがマスコミ界」とありました。
ここでは重ねて、新聞読者よりも、その新聞を書く「若きジャーナリスト諸兄姉」へと、コラムは語りかけていることを指摘しておきたいと思います。読者は読みすごすかもしれないが、諸兄姉は、どうか、こんな『無難な記事』は書いてくれるな。というメッセージがこめられております。
こうした書き手の視点から読むと、だいぶ味わいが違ってくる。
では、例文を続けます。
1983年11月号
「朝日的な、あまりに朝日的なダブルスタンダードのみごとな例証として、8月25日の朝刊を永久保存とする。第六面は『世界はきょう』と称する在台北特派員のレポートである。見出しだけを並べてみよう。
台湾――繁栄に潜む不安。『生存』なお米国頼み。絶えぬ海外逃避の動き。体制批判の『党外人士』。高齢化進む外省人議員。長期戒厳令、自由を制約。対米外交を活発に展開。
見出しだけを見れば、台湾、悪いことだらけだ。だが、その裏、すなわち第五面は?『党・軍の体質改革めざす中国』という見出しで、記事もヒドイものだ。
『四千万という世界最大の党員を抱える中国共産党が近く三年がかりの整風運動にとりかかる。・・・・整風とは、党員の思想、活動状況を洗い直し、仕事ぶりを正す、党内大掃除である。・・・現実に、北京からは犯罪者が一挙に三十人も処刑されたことが伝えられている。率直な発言で知られる氏だけに、党や軍が抱える問題指摘は鋭い。・・・・中国政情の安定と政策の継続性を願う立場から、今後の動きを冷静に見守ってゆきたい』
新聞の表と裏を読んで、思わずワッハッハと笑ったよ。処刑された三十人(無実の者もいたはずだ)には気の毒だが、実をいえば、いま中国が何よりも願っているのは、一日も早く台湾のようになりたいことなのですよ。それがわからないんですかね。」(p57~58)
1986年3月号
「日航ジャンボ機事故をめぐる朝日新聞の自衛隊批判について、東京新聞の大久保昭三記者による『日航事故・ある自衛官の涙と殺意』(文藝春秋・新年号)と、それに反論する朝日新聞・田岡俊次記者の『空幕広報室事件・私の真意』(同二月号)を読み比べた。
田岡記者は空幕広報室長を非常識と呼び、『やはり、あんたは広報には向いてないんだ。早く飛行群司令にでも栄転した方が似合うよ』ということも話した、と書いている。
ところが、大久保記者は直接引用で、田岡記者のニュアンスを紹介している。
『お前はバカだよ。まったくアホだよ。これだけまわりに迷惑を掛けていながら、まだわからないのか。お前は歴代広報室長の中で、一番最低だよ』『どっかに飛ばしてやろうか。せっかく、どっかの飛行群司令にしてやろうと、思っていたのに・・・』
このうち後者について田岡記者は『飛行群司令は最高の栄職の一つ』だから、そこへ飛ばしてやろうなど言うはずがないと反論しているが、いったい彼はちゃんと大久保記者の文章を読んだのだろうか?
それはともかく、田岡記者は単に『思い返すと恥ずかしいが、数分間は大声の口論となった』というだけで、自分の言葉のニュアンスには何も言及していないが、朝日の記者は自衛隊の一佐をお前呼ばわりし、バカだの、飛ばしてよるだのと怒鳴るものだろうか。いや言うものらしいと信じるには理由があって・・・・」(p84~85)
こういう朝日新聞の自衛隊批判は、どのようなつながりから来ているのか?
その方向性を確認するようなのが
1987年10月号
「『天皇訪問控え、うずく傷跡』『沖縄はまだ戦場だ』といったような記事がボツボツ目につき始めたので、まさかとは思うが不測の事態にそなえて、ちょっと伺っておきたいことがある。一部の新聞は、天皇が唯一の戦争犯罪人であって、その天皇は米軍の軍靴に踏みにじられた沖縄へ行き大地に頭すりつけて謝罪せよというのか?もしそうであれば、はっきりそう書いてもらいたい。
人間の生命には、値段の高い生命と安い生命がある。広島原爆の死者たちの生命は高い。彼らの死の記憶に基いて平和を宣言する広島市長の声は、ほとんど誇らしげである。
長崎で失われた生命も高い。だが長崎と同じ八月九日は始まり全満州と北朝鮮を阿鼻叫喚の地獄と化したソ連侵攻軍の犠牲者の生命は安い。だから朝日や毎日には、その人々のことが今年も一行も載らなかった。
沖縄の死者たちの生命も、また高い。だから沖縄本島南部の古戦場には記念碑が林立し、その中には悪趣味に近いものさえある。沖縄を守り切れなかった非力を恥じて自決した牛島司令官や長参謀長の生命は安い。だから誰も祈らない。・・・・」(p101~102)
これ以上引用すると煩雑になるので、ここまでとします。
あとは、読んでのお楽しみ。
山本夏彦氏は、先に引用した文章の、最後をこうしめくくっておりました。
「私たちは共通な人物と歌を失った。何よりその背後にある芝居を失った。言葉どころではないようだが、言葉から直していかなければこれは改めようがないのである」
「私の文章作法(一)(二)」という文が載っております。
そのはじまりを引用。
「故人清水幾太郎は『私の文章作法』のなかで、言葉に好き嫌いのある人なら文章が書けるだろう、その見込みがあると言って・・・『原点』『空洞化』『虚像と実像』『ふまえて』『きめこまかな』『それを○○のたたき台にして』――これらはたとえ千金をつまれても私は口にしない、また筆にしないと書いていた。
もっともである。けれどもこの言いぶんを『原点』以下の書き手に承知させるのは困難である。わがマスコミ界は清水のきらいな言葉にみちみちて、これが改まるのは『文化』全体が熟するよりほかない・・・」
ここでは、直していかなければならい『言葉』ということで、
徳岡孝夫著「完本 紳士と淑女 1980‐2009」(文春新書)から、マスコミの例文をとりあげてみたいのです。ちょうど、新書「紳士と淑女」の1980年代で取り上げられているコラムがテキストとして、よい例文を提供してくれております。
1981年10月号
「どの新聞も、この後継者争いの刻一刻の状況を、夜討ち朝駆けで報じてくれないのが残念だ。日本最大の暴力団、山口組組長、田岡一雄、六十八歳の死。
『警察庁は、直ちに山口組内部や他の暴力団との抗争が火を噴くことはまずないと見ている。しかし、田岡組長個人との関係で山口組に属していた組や幹部もいずれは去り、同組に対抗する暴力団も勢力伸張をうかがっていることから、やがて暴力団地図は塗りかえられる可能性が大きいとしている』(朝日7月24日)
若きジャーナリスト諸兄姉よ、よく読んでおくがいい。これが『無難な記事』のお手本だ。」(p37)
80年代のこのコラムでは、注意すべきは読者諸君にではなくて、若きジャーナリスト諸君へと語りかけているのでした。
先に引用した山本夏彦氏の文をもう一度思い返していただきたい。
「けれどもこの言いぶんを『原点』以下の書き手に承知させるのは困難である。わがマスコミ界は清水のきらいな言葉にみちみちて、これが改まるのは『文化』全体が熟するよりほかない・・」。ここに「わがマスコミ界」とありました。
ここでは重ねて、新聞読者よりも、その新聞を書く「若きジャーナリスト諸兄姉」へと、コラムは語りかけていることを指摘しておきたいと思います。読者は読みすごすかもしれないが、諸兄姉は、どうか、こんな『無難な記事』は書いてくれるな。というメッセージがこめられております。
こうした書き手の視点から読むと、だいぶ味わいが違ってくる。
では、例文を続けます。
1983年11月号
「朝日的な、あまりに朝日的なダブルスタンダードのみごとな例証として、8月25日の朝刊を永久保存とする。第六面は『世界はきょう』と称する在台北特派員のレポートである。見出しだけを並べてみよう。
台湾――繁栄に潜む不安。『生存』なお米国頼み。絶えぬ海外逃避の動き。体制批判の『党外人士』。高齢化進む外省人議員。長期戒厳令、自由を制約。対米外交を活発に展開。
見出しだけを見れば、台湾、悪いことだらけだ。だが、その裏、すなわち第五面は?『党・軍の体質改革めざす中国』という見出しで、記事もヒドイものだ。
『四千万という世界最大の党員を抱える中国共産党が近く三年がかりの整風運動にとりかかる。・・・・整風とは、党員の思想、活動状況を洗い直し、仕事ぶりを正す、党内大掃除である。・・・現実に、北京からは犯罪者が一挙に三十人も処刑されたことが伝えられている。率直な発言で知られる氏だけに、党や軍が抱える問題指摘は鋭い。・・・・中国政情の安定と政策の継続性を願う立場から、今後の動きを冷静に見守ってゆきたい』
新聞の表と裏を読んで、思わずワッハッハと笑ったよ。処刑された三十人(無実の者もいたはずだ)には気の毒だが、実をいえば、いま中国が何よりも願っているのは、一日も早く台湾のようになりたいことなのですよ。それがわからないんですかね。」(p57~58)
1986年3月号
「日航ジャンボ機事故をめぐる朝日新聞の自衛隊批判について、東京新聞の大久保昭三記者による『日航事故・ある自衛官の涙と殺意』(文藝春秋・新年号)と、それに反論する朝日新聞・田岡俊次記者の『空幕広報室事件・私の真意』(同二月号)を読み比べた。
田岡記者は空幕広報室長を非常識と呼び、『やはり、あんたは広報には向いてないんだ。早く飛行群司令にでも栄転した方が似合うよ』ということも話した、と書いている。
ところが、大久保記者は直接引用で、田岡記者のニュアンスを紹介している。
『お前はバカだよ。まったくアホだよ。これだけまわりに迷惑を掛けていながら、まだわからないのか。お前は歴代広報室長の中で、一番最低だよ』『どっかに飛ばしてやろうか。せっかく、どっかの飛行群司令にしてやろうと、思っていたのに・・・』
このうち後者について田岡記者は『飛行群司令は最高の栄職の一つ』だから、そこへ飛ばしてやろうなど言うはずがないと反論しているが、いったい彼はちゃんと大久保記者の文章を読んだのだろうか?
それはともかく、田岡記者は単に『思い返すと恥ずかしいが、数分間は大声の口論となった』というだけで、自分の言葉のニュアンスには何も言及していないが、朝日の記者は自衛隊の一佐をお前呼ばわりし、バカだの、飛ばしてよるだのと怒鳴るものだろうか。いや言うものらしいと信じるには理由があって・・・・」(p84~85)
こういう朝日新聞の自衛隊批判は、どのようなつながりから来ているのか?
その方向性を確認するようなのが
1987年10月号
「『天皇訪問控え、うずく傷跡』『沖縄はまだ戦場だ』といったような記事がボツボツ目につき始めたので、まさかとは思うが不測の事態にそなえて、ちょっと伺っておきたいことがある。一部の新聞は、天皇が唯一の戦争犯罪人であって、その天皇は米軍の軍靴に踏みにじられた沖縄へ行き大地に頭すりつけて謝罪せよというのか?もしそうであれば、はっきりそう書いてもらいたい。
人間の生命には、値段の高い生命と安い生命がある。広島原爆の死者たちの生命は高い。彼らの死の記憶に基いて平和を宣言する広島市長の声は、ほとんど誇らしげである。
長崎で失われた生命も高い。だが長崎と同じ八月九日は始まり全満州と北朝鮮を阿鼻叫喚の地獄と化したソ連侵攻軍の犠牲者の生命は安い。だから朝日や毎日には、その人々のことが今年も一行も載らなかった。
沖縄の死者たちの生命も、また高い。だから沖縄本島南部の古戦場には記念碑が林立し、その中には悪趣味に近いものさえある。沖縄を守り切れなかった非力を恥じて自決した牛島司令官や長参謀長の生命は安い。だから誰も祈らない。・・・・」(p101~102)
これ以上引用すると煩雑になるので、ここまでとします。
あとは、読んでのお楽しみ。
山本夏彦氏は、先に引用した文章の、最後をこうしめくくっておりました。
「私たちは共通な人物と歌を失った。何よりその背後にある芝居を失った。言葉どころではないようだが、言葉から直していかなければこれは改めようがないのである」