昨日はじめての方からコメントをいただきました。
あわてて、コメントへの返事もせっかちなものとなりました。
ということで、あらためて、コメントに対するご返事を
ここに書いてみたいと思います。
PHP文庫の谷沢永一著「完全版紙つぶて」が身近にあったので、その後記をみてみました。
こうあります。
「私は結局、この『完本 紙つぶて』一巻を書くために、長い年月を経てきたのかも知れない。そう思いかえしても、私は十分に満足である。いや、それどころか、ひとりのささやかな読書人の、うたかたに消えゆく筈の心情の一面を、我流の【紙つぶて】として書き続ける機縁に恵まれたのは、私にとって最上の幸福であり、関係者に対する感謝は尽きない。」(p548)
うん。うん。
ところで、「紳士と淑女 人物クロニクル 1980~1994」の「まえがき」に
編集者の提案という言葉があります。
「最初のうちは『なるべく人物中心でいきましょう』という編集者の提案に従って、その月の大きな出来事よりも『話題の人』を拾いすぎた嫌いがあった。そういう傾向が最近では逆になって、編集者から『今月のトップは何でいきますか』と相談を受けることがある。・・・」
ここで注意したいのは、編集者の意向が『人物中心で行きましょう』ということだったこと。この「紳士と淑女」が以前に刊行された単行本も副題に『人物クロニクル』とある。いま私が読み直そうとすると、その人物がかえってネックになっているような気がします。ここには、本来の徳岡孝夫氏がいないんじゃないか。
話題をかえて、新聞の人物論として私が思い浮かべるのは
朝日文庫「辰濃和男の天声人語【人物編】」でした。
それは1976年から1988年までの天声人語に載った人物をとりあげた一冊。
新聞読者の知る人物を中心にしながら出来上がっている人物編。
「紳士と淑女」は1980年(正確には1979年・月刊雑誌は次の月が表紙を飾り、発売月とはズレがある)からはじまっている。
編集者は、世間に普通の、たとえば天声人語の人物編を意識して、その傾向でゆこうとしていたのじゃないか? けれどもですね。辰濃和男氏は天声人語を降りてから、まるっきり文章の核がなくなってしまったかの感がある。それに比べるのも変ですが、徳岡孝夫氏は、ひとり三島由紀夫を書くにしてもライフワークほどの出会いとスタンスをもって臨んでおられる。そして、そこには通奏低音としての時代への眼差しが響いているのでした。
時代への眼差しなんていうと、さっきの「1980‐1994」の「まえがき」に、こんな箇所がありました。
「『諸君!』・・・創刊(1969年5月)のころ、世界はベトナム戦争と文化大革命の、日本は学園紛争の最中であった。ゲバ棒で武装した学生が街頭で警察隊と衝突しバリケードを築いて立てこもると、新聞はそれを『解放区』だと書いて囃していた。当時の百科事典の『ソヴェト連邦 社会・文化』の項は、理想社会からの報告と言ってもよかった。スターリン批判はすでに行われていたにもかかわらず、やがて来る共産主義革命への信仰は日本のインテリの間に普遍のものだった。そういう風潮の中で『諸君!』は『どこか間違っている』(池島信平「創刊に当って」)と感じ、自由に考え正しい発言をする決意をもって世に出されたのだった。ベトナム戦争が終息し、中国もまた文化大革命という『狂気の十年』を脱したとはいえ、似たような日本の思想的風土は『紳士と淑女』が始まった1979年(昭和54年)秋にもなお健在だった。
この年の二月に起こった中越戦争によって、正しいはずの共産主義体制への信仰はやや薄らいだが、たとえば日本人の非武装中立神話は微動だにしていなかった。
世界に冠たる平和憲法によって戦力を放棄し、おかげで経済的繁栄を築いたのだという日本のインテリの幻想は、その幻想に酔う間も米軍が日本列島を守ってくれている事実を都合よく忘れたものだが、多くの日本人はそれに気付いていないようだった。かえってこの平和主義を世界に広めなければと力みかえる者さえいた。遊戯人間コラムの延長として始まった『紳士と淑女』は、もともとそのような日本人の自己陶酔を打ち破ろうという野望などなく、書き手にも謬説に対抗するに足る論理的視点、視座があるわけでもなかった。編集長の提案によって書き出し、月々の話題を拾い、気がついたら14年が経っていたにすぎない。ただし、自己陶酔がいかにも阿呆らしいときにだけ、阿呆らしいと書いた。」
そこで、2009年9月へともどります。
文春新書の今月の新刊「完本 紳士と淑女」。
この「完本」では、「自己陶酔がいかにも阿呆らしいときにだけ、阿呆らしいと書いた」その箇所を、注意深くひろっての一冊となっているように、私はお見受けいたしました。人物中心に惑わされることなく(古い本には人物写真も掲載されていて、いやおうなくおじさん臭さがあります)この「阿呆らしい」視点から古い単行本「紳士と淑女」の2冊を読み直してゆけば、徳岡孝夫氏に出会えるのだと、私はあらためて思ったりするのです。
あわてて、コメントへの返事もせっかちなものとなりました。
ということで、あらためて、コメントに対するご返事を
ここに書いてみたいと思います。
PHP文庫の谷沢永一著「完全版紙つぶて」が身近にあったので、その後記をみてみました。
こうあります。
「私は結局、この『完本 紙つぶて』一巻を書くために、長い年月を経てきたのかも知れない。そう思いかえしても、私は十分に満足である。いや、それどころか、ひとりのささやかな読書人の、うたかたに消えゆく筈の心情の一面を、我流の【紙つぶて】として書き続ける機縁に恵まれたのは、私にとって最上の幸福であり、関係者に対する感謝は尽きない。」(p548)
うん。うん。
ところで、「紳士と淑女 人物クロニクル 1980~1994」の「まえがき」に
編集者の提案という言葉があります。
「最初のうちは『なるべく人物中心でいきましょう』という編集者の提案に従って、その月の大きな出来事よりも『話題の人』を拾いすぎた嫌いがあった。そういう傾向が最近では逆になって、編集者から『今月のトップは何でいきますか』と相談を受けることがある。・・・」
ここで注意したいのは、編集者の意向が『人物中心で行きましょう』ということだったこと。この「紳士と淑女」が以前に刊行された単行本も副題に『人物クロニクル』とある。いま私が読み直そうとすると、その人物がかえってネックになっているような気がします。ここには、本来の徳岡孝夫氏がいないんじゃないか。
話題をかえて、新聞の人物論として私が思い浮かべるのは
朝日文庫「辰濃和男の天声人語【人物編】」でした。
それは1976年から1988年までの天声人語に載った人物をとりあげた一冊。
新聞読者の知る人物を中心にしながら出来上がっている人物編。
「紳士と淑女」は1980年(正確には1979年・月刊雑誌は次の月が表紙を飾り、発売月とはズレがある)からはじまっている。
編集者は、世間に普通の、たとえば天声人語の人物編を意識して、その傾向でゆこうとしていたのじゃないか? けれどもですね。辰濃和男氏は天声人語を降りてから、まるっきり文章の核がなくなってしまったかの感がある。それに比べるのも変ですが、徳岡孝夫氏は、ひとり三島由紀夫を書くにしてもライフワークほどの出会いとスタンスをもって臨んでおられる。そして、そこには通奏低音としての時代への眼差しが響いているのでした。
時代への眼差しなんていうと、さっきの「1980‐1994」の「まえがき」に、こんな箇所がありました。
「『諸君!』・・・創刊(1969年5月)のころ、世界はベトナム戦争と文化大革命の、日本は学園紛争の最中であった。ゲバ棒で武装した学生が街頭で警察隊と衝突しバリケードを築いて立てこもると、新聞はそれを『解放区』だと書いて囃していた。当時の百科事典の『ソヴェト連邦 社会・文化』の項は、理想社会からの報告と言ってもよかった。スターリン批判はすでに行われていたにもかかわらず、やがて来る共産主義革命への信仰は日本のインテリの間に普遍のものだった。そういう風潮の中で『諸君!』は『どこか間違っている』(池島信平「創刊に当って」)と感じ、自由に考え正しい発言をする決意をもって世に出されたのだった。ベトナム戦争が終息し、中国もまた文化大革命という『狂気の十年』を脱したとはいえ、似たような日本の思想的風土は『紳士と淑女』が始まった1979年(昭和54年)秋にもなお健在だった。
この年の二月に起こった中越戦争によって、正しいはずの共産主義体制への信仰はやや薄らいだが、たとえば日本人の非武装中立神話は微動だにしていなかった。
世界に冠たる平和憲法によって戦力を放棄し、おかげで経済的繁栄を築いたのだという日本のインテリの幻想は、その幻想に酔う間も米軍が日本列島を守ってくれている事実を都合よく忘れたものだが、多くの日本人はそれに気付いていないようだった。かえってこの平和主義を世界に広めなければと力みかえる者さえいた。遊戯人間コラムの延長として始まった『紳士と淑女』は、もともとそのような日本人の自己陶酔を打ち破ろうという野望などなく、書き手にも謬説に対抗するに足る論理的視点、視座があるわけでもなかった。編集長の提案によって書き出し、月々の話題を拾い、気がついたら14年が経っていたにすぎない。ただし、自己陶酔がいかにも阿呆らしいときにだけ、阿呆らしいと書いた。」
そこで、2009年9月へともどります。
文春新書の今月の新刊「完本 紳士と淑女」。
この「完本」では、「自己陶酔がいかにも阿呆らしいときにだけ、阿呆らしいと書いた」その箇所を、注意深くひろっての一冊となっているように、私はお見受けいたしました。人物中心に惑わされることなく(古い本には人物写真も掲載されていて、いやおうなくおじさん臭さがあります)この「阿呆らしい」視点から古い単行本「紳士と淑女」の2冊を読み直してゆけば、徳岡孝夫氏に出会えるのだと、私はあらためて思ったりするのです。