和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一人旅。

2009-09-25 | 朝日新聞
河合隼雄と長田弘の対談「子どもの本の森へ」(岩波書店)で、長田さんがこう語っておりました。

「よくないのは、要約しろっていう読み方。その考え方が読書をつまんなくしちゃてると思うんですね。要約なんかしなくていい。それよりもその本のどこか、好きなところを暗誦するほうがずっといいと思うのです」(p7)

ということで(笑)はじめます。
徳岡孝夫著「ニュース一人旅」(清流出版)。
「この本は、ほぼ十年間、女性向きの月刊雑誌・・に毎号寄せてきた記事から、一部を択んで一冊にしたものである」とご本人が書いております。

さて、要約などはせずに、ひとつの文章を紹介がてら、引用したいと思ったのです(笑)。


題は「不可解な『朝日』(05・12)」(p56~57)
それでは、以下引用


 ほぼ三十年間の記者生活の大半を、社会部や週刊誌の記者として過ごした私は、朝日新聞社がなぜNHK番組が政治家の圧力によって改変されたと書いた自己の記事を『誤りでした』と認めて謝らないか、不可解でならない。どんな記者でも、誤報することがある。・・その場合には早く過ちを認め、関係者に謝罪するのが、新聞記者として正しい行為である。部外者による委員会を設けたり、二ページ見開きの検証記事を載せたり、『朝日』はなぜ屋上屋を重ねるような大騒ぎをしてまで、誤報を書いた記者を守るのだろう。・・
安倍氏はNHK幹部を『呼び出し』て番組内容を変えよと求めた。中川氏は放送前日にNHK幹部に会ったと書いた。ところが当時の記録を調べると、安倍氏がNHK幹部を呼び出した事実はなかった。中川氏が会ったのは放送前でなく、放送後だった。
新聞記事は『事実』のデータに基づいて成り立つ。その『事実』が間違っていれば、そそくさと訂正して謝らなければならない。他人が過ちを犯したとき、新聞は『過ちを認めよ』『謝れ』と要求する。雪印乳業の社長などは、ぐずぐずしたため、新聞からコテンパンに叩かれた。自分が間違ったときの『朝日』の、このゴマカシぶりはどうだろう。・・・
今度の記者会見で『朝日』の秋山耿太郎(こうたろう)社長は百人ほどの記者の前で『反省する』と言った。だが同時に『(記者の)妥当性は認められた』と、訂正も謝罪も拒否した。放送後に会ったのを『放送前日』に会ったと書いておいて、何が『妥当性が認められる』だろう。・・・・・・
『朝日』が政治家の介入によって改変されたと称するNHK番組は、従軍慰安婦問題で報道キャンペーンの先頭を切っていた故松井やより記者らNGOが開いた模擬裁判『日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷』を報じたものだった。昭和天皇を性奴隷(従軍慰安婦)制の元凶だとして有罪宣告するのが、その『裁判』の判決だったという。
大騒動を起した記者は、先輩の故松井記者に深く傾倒していた。その記者を、『朝日』は処分するどころか、会社を挙げて守った。長野の誤報記者はクビにしたのに、昭和天皇を悪の親玉とする記者は社内に残した。おそらく同じような思想を持つ者が大勢いるのだろう。常識ある人は、今後『朝日』記者から話しかけられたとき、注意した方がいい。何を書かれるか判らない。


この引用で終わるのは、なんとも勿体無い。
私は「完本 紳士と淑女」(文春新書)からも引用して続けてみたいと思うわけです。



1987年7月号

「多くの識者が朝日紙上で声を一にして言っていたように、青春に富む小尻知博記者の死は傷ましい出来事であり、暴力による言論弾圧は宥すべからざる行為である。しかし、だからといって、われわれは言論機関を神聖とし、新聞社を神格化しなければならないのだろうか。『言論の自由』というときの言論は、原理的にはハイド・パークの一隅に立って演説する個々人のそれを指す。高校野球の大勧進元になり、マラソン大会を実行して沿道を社旗で埋め、テレビ局やカルチャー・センターを経営し、自己を批判する雑誌の広告を拒否し、わが言論に反する言論あれば片っ端から告訴する。そんな一大権力機構が神聖であろうか。権力者は幼児、老人、母親の真の味方であろうか。
他を顧みて批判するのに巧みでありながら、自己への批判を許さない朝日は、言論機関よりむしろ権力の府ではないか。朝日阪神支局の襲撃は宥すべからざるものだが、それをもって新聞を批判するファシズムがいよいよ暴力に訴え日本に暗い時代が来ると騒ぐが如きは、一人の娘の襲われたのを見て海千山千の女が女性全体の貞操の危機を叫ぶに似たものではないか。」(p99~100)


本の題名「ニュース一人旅」の「一人旅」という言葉を思うにつけ、
「『言論の自由』というときの言論は、原理的にはハイド・パークの一隅に立って演説する個々人のそれを指す。」という徳岡孝夫氏ご自身の言葉が想起されるのでした。


コメント
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