徳岡孝夫著「薄明の淵に落ちて」(新潮社)を読んでるところ、
最初の方には、「ジャーナリストとして、メモを見ずに文章を書くのは、これが最初の経験である。」とあります。ほとんど失明状態になってからの徳岡氏の本なのでした。
そのあとには、こうありました。
「退院後も週に一度通っている病院で、全盲の右眼には回復の希望なし、薄明の左眼にも改善の見込みがあまりないと宣言されてから、私はしきりに盲目だった先人を思うようになった。芝居の沢市、春琴に仕えた小説の佐助、失明に近い視力で晩年も健筆を振るわれた田中美知太郎先生。本棚をさがすと、学生時代に買ったジョン・ミルトンの英詩集の中に、ちゃんとSamson Agonistes が入っていた。盲目の詩人が書いた盲目の英雄サムソンの叙事詩を、私はこの原稿が終わりしだい、ルーペをたよりに読んでみようと思っている。サムソンの怪力の源泉は長髪だったが、手術前に剃った私の髪もおいおいに伸びてきた。髪が長くなれば、ひょっとして奇跡が起こるかもしれない。
能には盲目物というジャンルがある。なかでも私のような大阪人に身近なのは、高安の里や俊徳道など今日に残る地名で親しい『弱法師(よろぼうし)』である。・・・」
この文の最後は、
「私は、このさきは、自分の幸不幸を問うまいと思う。ゆっくりではあるが、眼鏡の力で字は読める。見るものすべて湖中満開の桜花のように曖昧模糊としているが、それを眺めつつ、目が見えていた手術前のように苦しんだり楽しんだりしながら生きていこうと思う。」(~p52)
最初の方には、「ジャーナリストとして、メモを見ずに文章を書くのは、これが最初の経験である。」とあります。ほとんど失明状態になってからの徳岡氏の本なのでした。
そのあとには、こうありました。
「退院後も週に一度通っている病院で、全盲の右眼には回復の希望なし、薄明の左眼にも改善の見込みがあまりないと宣言されてから、私はしきりに盲目だった先人を思うようになった。芝居の沢市、春琴に仕えた小説の佐助、失明に近い視力で晩年も健筆を振るわれた田中美知太郎先生。本棚をさがすと、学生時代に買ったジョン・ミルトンの英詩集の中に、ちゃんとSamson Agonistes が入っていた。盲目の詩人が書いた盲目の英雄サムソンの叙事詩を、私はこの原稿が終わりしだい、ルーペをたよりに読んでみようと思っている。サムソンの怪力の源泉は長髪だったが、手術前に剃った私の髪もおいおいに伸びてきた。髪が長くなれば、ひょっとして奇跡が起こるかもしれない。
能には盲目物というジャンルがある。なかでも私のような大阪人に身近なのは、高安の里や俊徳道など今日に残る地名で親しい『弱法師(よろぼうし)』である。・・・」
この文の最後は、
「私は、このさきは、自分の幸不幸を問うまいと思う。ゆっくりではあるが、眼鏡の力で字は読める。見るものすべて湖中満開の桜花のように曖昧模糊としているが、それを眺めつつ、目が見えていた手術前のように苦しんだり楽しんだりしながら生きていこうと思う。」(~p52)