和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

今の80代90代。

2012-03-05 | 短文紹介
曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社)を読みました。
題名の脇に小さく「東日本大震災の個人的記録」とあります。
読んでよかった。
連載の雑誌などで、ちょこちょこ読んでいたはずなのですが、
読後感は、その印象とは違って、一冊の充実感が伝わります。
たとえてみれば、3・11という梅干を中心に、
非常時のおにぎりを手際よく握ったような、
そんな一冊(妙なたとえで御免なさい。文中に、こういう喩えを、つい、つかいたくなるような具体的な箇所があるのでした)。

はじまりには、こうありました。

「幸か不幸か地震と共に私は、たくさんの原稿を書くことになった。私はいつも周囲の状況が悪くなった時に思い出される人間なのではないか、と思う時がある。」(p27)

非常時の「炊き出し」ならぬ「書き出し」の要請に、この80歳のおばさんは、若者にもできない機敏さで対応していたのでした。

そういえば、釜石の防災教育で知られるようになった片田敏孝氏のことが新聞に載っておりました(産経新聞3月3日の3面にコメント)。

「教育委員会には防災教育の普及をお願いしてきたが、『余計な仕事を持ってくる』と嫌がられ、われわれにとって『敵』だった。だが震災以降、全国の教育委員会から『釜石の防災教育を教えてほしい』と依頼が来るようになった。受験戦争や国際化への対応など教育現場は大変だが、それは生き残ってからの話だということに気づいてくれたのだと思う。・・・」

片田氏とともに、想定外になると、発言を求められる曽野氏であります。
この本にはこうもあります。

「途上国の医療機関は、元々電気がないか、あっても充分ではないかなのだが、電気が切れた瞬間からすべての法規や組織は一時的に壊滅して、超法規になる。そして前に書いたように、各人が職種を超えて、臨機応変の行動をとる他はない。その時に初めてその人がそれまでの人生で得た知識、体力、資質、訓練、心構え、判断力、あるいは信仰などが、力となって生きてくるのである。」(p189)

曽野綾子さんの「それまで人生で得た」さまざまな考察が、この一冊にさりげなくも握りこまれている。そのような味わいの一冊となっております。

ここでは、年齢に関する語りを、すこし引用。

「今度初めて七十歳以下の人々は、3月11日以前の日本社会が崩壊したのを見た。彼らはそのような日本の姿が崩壊する日があろうかとは思わなかったようだった。そして未だにこの現実をどう受け入れていいのかわからないで落ち込んでいる。日本の繁栄に関する彼らの揺るぎない信頼がこれほどに厚いものだと知った私の方が、逆に驚いたのであった。」(p71)

そういえば、菅直人さんは、首相の時の国会中継で反駁する際に、「私は60歳をすぎて、それなりに分別や経験を積んでいるのですから」というような言葉を持ち出していたことを思い出します。

「・・・・『安心して暮らせる生活』と『もうダムはいらない』『コンクリートから人へ』の三つの言葉が、これほどにも早く間違いであることが証明されるとは、私も思ってもいなかった。私が日本を『夢のお国』と言うと、たいていの若い世代は本気にしなかった。」(p70)

「敗戦時に、今と違って地域的な被害ではなく、国民のすべてが多かれ少なかれ家や財産を失っているのを若い人たちは知らない。何しろ健康保険も、生活保護も、避難所も、仮設住宅も、ボランティアの支援もなかった時代に、今の八十代九十代の人々は住む家も焼け、衣服も食料も日本中になくなった中で生きなければならなかったのだ。救いなどどこからも来るわけがなく、それがいつまで続くかもしれなかったのである。」(p235)

さて、この炊き出しのおにぎりのような、非常時の臨機応変の一冊。その味わいの有無を、どうぞ、読んでお確かめください。と、最低限でありながら、広範囲に及ぶ的確さの目配りを、ぜひとも薦めたくなる一冊。まあ、それはそれとして、この味わいが何であるのか、もう一度読み返してみます。
コメント
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