雑誌の連載は、感銘しても、つい忘れて、
それでもって、読みたいときに、
さがしだせないことが、しばしば。
なら、ここに、備忘録がてら、
書いておくにことにしましょう。
雑誌「WILL」五月号(2012年)の連載エッセイ。曽野綾子の「小説家の身勝手」がよかったなあ。連載「蒟蒻問答」もたのしめました。ここでは、巻頭エッセイの日下公人「繁栄のヒント」をとりあげます。
うん、日下氏といえば、思い浮かぶことがあります。
亡くなられた谷沢永一氏の雑誌掲載文に「新聞書評に頼らないで、10冊」という4頁ほどの文。まず最近(平成8年7月1日)の10冊を紹介してから、、語り始めるのですが、そのはじまりはこうでした。
「選択の基準は簡単です。私がかねてより心から尊敬し、その人の述作は全部かならず目を通そうと決めている方々の著書のなかから、この二年以内に刊行されたものを選んでみました。・・・」
たまたま、その最初に選ばれていたのが、日下公人の著書でした。
え~と。ちなみに、この短文は谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)に再録されております。
さてっと、その日下公人氏が雑誌WILLの巻頭エッセイを毎回書かれてる。今回の五月号は、ドナルド・キーン氏がテーマ。ということで、そのはじまりを引用。
「戦争中、急遽、日本語を勉強して情報将校となり、ガダルカナル戦以降に戦死した日本兵の日記や手紙の内容を調べたドナルド・キーンさんが、このたび日本に帰化して日本人になった。漢字の名前が『鬼怒鳴門』だと新聞報道にあったので、当時、大東亜戦争を闘った日本人の心をよくわかってくれた人なんだなと嬉しく思った。
あの頃の日本人が何を怒鳴っていたのか、81歳の私はよく覚えている。平和を望む日本人の心を理解しない蒋介石政権やルーズベルト大統領に対し、『どうして分かってくれないのか』と怒鳴りたい気持を抑えて戦いに入ったのである。その気持ちは宣戦布告の証書全体に溢れていたから子供にも分かった。アメリカ人のドナルドさんも、だんだんに分かったのだろうと想像する。・・・」
このコラムの最後も引用したいのですが、
まあ、また読み直します。
うん。雑誌WILL5月号は、
忘れずに本棚に置き、読めるようにしておきます。
感銘しても、再読をしない。その悪い癖は、
すこしずつでもなおしていきます(笑)。
ちなみに、この号の特集の方は、未読。
それでもって、読みたいときに、
さがしだせないことが、しばしば。
なら、ここに、備忘録がてら、
書いておくにことにしましょう。
雑誌「WILL」五月号(2012年)の連載エッセイ。曽野綾子の「小説家の身勝手」がよかったなあ。連載「蒟蒻問答」もたのしめました。ここでは、巻頭エッセイの日下公人「繁栄のヒント」をとりあげます。
うん、日下氏といえば、思い浮かぶことがあります。
亡くなられた谷沢永一氏の雑誌掲載文に「新聞書評に頼らないで、10冊」という4頁ほどの文。まず最近(平成8年7月1日)の10冊を紹介してから、、語り始めるのですが、そのはじまりはこうでした。
「選択の基準は簡単です。私がかねてより心から尊敬し、その人の述作は全部かならず目を通そうと決めている方々の著書のなかから、この二年以内に刊行されたものを選んでみました。・・・」
たまたま、その最初に選ばれていたのが、日下公人の著書でした。
え~と。ちなみに、この短文は谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)に再録されております。
さてっと、その日下公人氏が雑誌WILLの巻頭エッセイを毎回書かれてる。今回の五月号は、ドナルド・キーン氏がテーマ。ということで、そのはじまりを引用。
「戦争中、急遽、日本語を勉強して情報将校となり、ガダルカナル戦以降に戦死した日本兵の日記や手紙の内容を調べたドナルド・キーンさんが、このたび日本に帰化して日本人になった。漢字の名前が『鬼怒鳴門』だと新聞報道にあったので、当時、大東亜戦争を闘った日本人の心をよくわかってくれた人なんだなと嬉しく思った。
あの頃の日本人が何を怒鳴っていたのか、81歳の私はよく覚えている。平和を望む日本人の心を理解しない蒋介石政権やルーズベルト大統領に対し、『どうして分かってくれないのか』と怒鳴りたい気持を抑えて戦いに入ったのである。その気持ちは宣戦布告の証書全体に溢れていたから子供にも分かった。アメリカ人のドナルドさんも、だんだんに分かったのだろうと想像する。・・・」
このコラムの最後も引用したいのですが、
まあ、また読み直します。
うん。雑誌WILL5月号は、
忘れずに本棚に置き、読めるようにしておきます。
感銘しても、再読をしない。その悪い癖は、
すこしずつでもなおしていきます(笑)。
ちなみに、この号の特集の方は、未読。