和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あえて私が代弁すれば。

2012-03-24 | 短文紹介
雑誌「WILL」5月号が届く。
曽野綾子さんの最新エッセイをまずは読む。
曽野さんの「揺れる大地に立って」(扶桑社)を読んでいたせいか、
今回のエッセイは、磨きがかかっているように読めました。
ということで、その引用。

はじまりは、

「震災後も私はよく同級生と会って喋り、簡単な食事をする。そして最近のことを語り合う。皆、大東亜戦争の時、中学二年生だった人たちである。・・・・やや遠慮がちに、3・11のことに触れることもある。しかし誰一人としてその前も後も今も、全く考えや物の見方が変わったなどと言う人はいないのである。
世間では、新聞にもテレビにも、あの日以来ものの見方も人生観も変わった、という言葉が頻繁に出ている。そう言わないと災害に遭った人の苦労をないがしろにしているような感じになる世相の中で、高齢者はやや無口である。亡くなった方たちに対して、それはあまりに慎みのないことだとも思うから、誰も大きな声では言わない。・・・はっきり言うと戦争に比べて、今度の地震の災害など軽いものだ、と心の中ではすべての人が思っているのである。戦中世代が心の中で自ら押しつぶしている声を、あえて私が代弁すればこういうことだ。誰も、家族や家や仕事を失った人が、その悲しみを越えてできるだけ幸福になればいいと願っている。しかし世の中には常に、不幸と不運というものがある。それを私たちの世代は、仕方なく、運命の一環として肯定したのだ。・・・・」

途中は、端折って、

「戦争中のことを知る世代はもうだんだんいなくなりつつある。苦労した話など得意気に喋るのも嫌味なことなので、皆過去に関しては寡黙になっている。」


「いつだって望みが叶えられればこんなにいいことはない。しかし今から七十年近く前、全日本が傷ついた戦争の時、人間の希望が、政府によって叶えられるなどということを期待する庶民はほとんどいなかったのだ。当時の日本人は壊滅した日本の国土の中から、自力で立ち上がった。政府がしてくれないことは、すべて自分たちでやる他はない、と知っていたのだ。


最後も引用しておきます。

「しかしいずれにせよ、戦争を体験した者たちは、今度の震災などに、いささかも動じない。人生には、もっともっと激しい貧困、不法、不平等、危険、人間の愚かさの結果としての空しい死があることを知るという、人間としての基本を身につけてもらったからだ。」


そうそう、河出書房新社から「特別授業3・11 君たちはどう生きるか」という14歳の世渡り術シリーズが出ておりました。まだ読んでいないのですが、それはそれ、パラリとひらいた箇所に、こんな箇所がありました。

「わたしが高校生の頃から愛読してきたパスカルという思想家の『パンセ』という本のなかに、こんなことばがあります。
『人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現われている』なんどもくり返し味わうべきことばだと思います。」(p79)
コメント
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