和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

というモノサシ。

2012-03-31 | 短文紹介
今朝。テレビをつけたら落合博満氏に阿川佐和子さんがインタビューしてる。私服での落合さんの坊主頭がさまになっておりました。

そういえば、落合博満著「采配」(ダイヤモンド社)に

「結論から言えば、私は今でもこの自分の采配を『正しかったか』それとも『間違っていたか』という物差しで考えたことがない。ただあるのは、あの場面で最善と思える決断をしたということだけである。」(p74)

という箇所があり、印象に残っております。
「物差しで考えたことがない」という落合さんの言葉。

ここで、わたしは司馬遼太郎の「山片蟠桃のこと」という文章のはじまりを連想してしまいました。司馬さんはこうはじめております。

「江戸体制を考える上で、はたして、この体制が建前であるコメ経済であったのか、それともゼニ経済だったのか、ということに迷ってしまう。」

ここでは『建前』という物差しへの迷いから、書きはじめられているのでした。
では、そのつづきをすこし

「当時の為政者も、このことに迷い、頭を痛めた。『加賀百万石』などと、江戸時代のひとびとは前田家の威勢を、石高(こくだか)で表現した。伊達家は仙台59万5千石で、島津家は薩摩鹿児島77万石であったればこそ、威勢があったのである。
が一方でこういう言い方もある。
『播州赤穂の浅野家はわずか5万石ながら、有名な赤穂塩(あかおじお)の収入(みいり)などがあって、ご内福である』この小藩の城下の人口は5千ほどで、江戸初期以来、城下の各戸に上水道がひかれていた。赤穂の上水道は1616年の完成というから、時期としては世界でもっとも早いものである。このような石高に不相応な『内福』さこそ、塩という商品を通じての赤穂藩のゼニ経済のおかげだったといっていい。・・・」

司馬さんは、このように書き出して、だんだんと山片蟠桃へと言及してゆくのに、建前の正しさは石高なのですが、実質的なゼニ経済という時代背景をまずは、浮き彫りにしてゆきます。

さてっと、現在の「建前」とは何でしょうねぇ。
たとえば、民主党が正しいと、
ちっとも疑いをさしはさませない「議論」とか。
あなたなら、
「正しさ」からどういう連想をしますか?
コメント
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