和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

私もその一人であった。

2012-03-14 | 詩歌
文芸春秋三月臨時増刊号「3・11から一年 100人の作家の言葉」。
私のことですから、この雑誌も、ちゃんと読むわけじゃなく、ちょい読み。拾い読みです。
そこにある津本陽の「東日本震災に思う」という2ページの文に、
気になる箇所があり引用。津本氏の文章の最後でした。

「・・・昭和20年8月、焼跡となった市街地に毎日八百機、千機のアメリカ艦載機が飛来して空襲がくりかえされてるなか、国民は整然と列をつくって切符を買い、勤務先へ定刻を守って通勤し、家事をはたしていた。自分のいる場所がまもなく戦場となり、皆死ぬだろうと想像しつつ、生活の軌道からはずれないで暮らしていた。私もその一人であった。いまから思えば破滅の危機が眼前に迫っているときに、なぜあれほどまでに毎日の日課を守っていたかと、ふしぎな感じさえするほどである。日本人には非常のときに動揺せず粘りぬく特徴がある。被災者の方々も数年たてば、きっとあたらしい生活を築きあげておられるにちがいない。」(p81)


うん。思い浮かぶ石原吉郎の詩があります。
詩の最初の一行をぬかして、引用してみます。


  かぜをひくな
  ウィルスに気をつけろ
  ベランダに
  ふとんを干しておけ
  ガスの元栓を忘れるな
  電気釜は
  八時に仕掛けておけ


ということで、これは石原吉郎の詩集「禮節」にある詩なのですが、
その詩の、題名と最初の一行目の言葉は同じでした。
それは、


  世界がほろびる日に


なぜか、そういう、一行からはじまるのでした。


  
 
コメント
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