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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

私はテレビを見ながら。

2013-06-05 | 短文紹介
まだ、柳田国男の「遠野物語」を読んでる途中なのですが、
今度読んで、こんな箇所があるのを知りました。

八十四に
「佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。この人の青年の頃といへば、嘉永の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。釜石にも山田にも西洋館あり。船越の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。耶蘇教は蜜々に行はれ、遠野郷にてもこれを奉じて磔(はりつけ)になりたる者あり。浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合ひては嘗(な)め合う者なりなどいふことを、今でも話にする老人あり。・・・」

2010年9月1日の当ブログに、
そういえば、こういう書きこみをしておりました。

「徳岡孝夫著「お礼まいり」(清流出版)に
昭和30年代を振り返った、徳岡氏の文があります。
ひと味もふた味も違うのでした。そこを引用。まあ一箇所のみ。


昭和35年、徳岡氏はフルブライト留学生としてアメリカへ。翌年サンフランシスコから船で帰国します。出発と同じ横浜の大桟橋が終着点でした。
そこで帰ってきて船を降りる時のことが語られております。


「私たちのそばに一人、桟橋に向かって懸命に手を振る若い西洋人の女がいた。見ると桟橋側にも彼女に向かって手を振っている男がいる。何か叫んでいる。・・・・
船はゆっくり接岸した。荷物の少ない私は、さっさと入国手続きと通関を済ませ、一年ぶりに横浜の土を踏んだ。一番だろうと思ったら、そうではなかった。税関を出たところに、さっきの女がいた。出迎えた男と抱き合っている。・・・・
小さい輪を作って、それを見物している数人の日本人がいる。服装から見て、ヒマな沖仲仕らしい。半径二メートルほどの綺麗な円を作って、男たちは延々と続く西洋人のキスを眺めている。誰もニヤニヤ笑っていない。オッサンたちの中には腕組みしているのがいる。何か話し合いながら見ているのもいる。男女は、見られているのを全く気にしない。ちょっと離れては抱き合うのを繰り返している。抱き合えばシッカリ接吻する。二人もマジメだが、眺める側もマジメである。犬の交尾を眺める人間か。人間の交尾を見る犬の群れか。冷やかし半分に見ている者は一人もいない。
『見い、よくやるのう』『おお、またやりおるわ』『映画の実演みたいじゃ』『西洋人は、こうやらんと気が済まんのじゃろ』そう話し合っているのが聞こえるようである。・・・
私は顔から火が出た。真昼の抱擁・接吻と純粋な傍観の見物人。寸分のイヤラシサもないから、私はかえって恥ずかしかった。・・・・
西洋史家・会田雄次(1916~97年)の『アーロン収容所』が、全裸で日本兵捕虜の前に出て羞じない英女兵を描いたのは、この大接吻の翌年である。」(p49~50)


私はテレビを見ながら、ひょっとすると『おお、またやりおるわ』とつぶやいていたりすることがあるような気がしてきました。」

コメント
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