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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

さうでがす。

2013-06-08 | 詩歌
柳田国男の「山の人生」を読む。
以前に読んだのは、たしか小林秀雄のエッセイに触発されてでした。
あの時、いったい何を読んでいたのだろうと、思うのでしたが、
それでは、今回何を読んだのかと聞かれると、困るなあ。

「天明年間に貉(むじな)が鎌倉建長寺の御使僧に化けたという話」の箇所も興味深かった。その章は「十二 大和尚に化けて廻国せし狸の事」にあるのですが、その章の最後は、

「神隠しの少年の後日譚、彼らの宗教的行動が、近世の新道説に若干の影響を与えたのは怪しむに足らぬ。上古以来の民間の信仰においては、神隠しはまた一つの肝要なる霊界との交通方法であって、我々の無窮に対する考え方は、終始この手続きを通して進化して来たものであった。書物からの学問がようやく盛んなるにつれて、この方面は不当に馬鹿にせられた。そうして何がゆえに今なお我々の村の生活に、こんな風習が遺っていたのかを、説明することすらもできなくなろうとしている。それが自分のこの書物を書いてみたくなった理由である。」


これ以降が、何か面白くなってゆくようだったのですが、
さて、何を読んだのか、その裾野をウロついたような気分が残ります。
ということで、「山の人生」の最後の2行ばかりを引用。

「たとえば稚(おさな)くして山に紛れ入った姉弟が、その頃の紋様ある四つ身の衣を着て、ふと親の家に還って来たようなものである。これを笑うがごとき心なき人々は、少なくとも自分たちの同志者の中にはいない。」


ああ、そういえば、読んでいる途中、
夏目漱石の俳諧詩が思い浮かびました。
ということで、その引用。

   童謡

 源兵衛が 練馬村から
 大根を  馬の背につけ
 御歳暮に 持て来てくれた
 
 源兵衛が 手拭でもて
 股引の  埃をはたき
 臺どこに 腰をおろしてる

 源兵衛が 烟草をふかす
 遠慮なく 臭いのをふかす
 すぱすぱと 平気でふかす

 源兵衛に どうだと聞いたら
 そうでがす 相変らずで
 この年も 寒いと言つた
 
 源兵衛が 烟草のむまに
 源兵衛の 馬が垣根の
 白と赤の 山茶花を食つた

 源兵衛の 烟草あ臭いが
 源兵衛は 好きなぢぢいだ
 源兵衛の 馬は悪馬だ

    ( 明治38年1月1日「ホトトギス」)

ついでに、もう一箇所引用。

  無題
 
無人島の天子とならば涼しかろ  漱石
獨り裸で据風呂を焚く      同
いづくより流れよりけんうつろ船 虚子
大き過ぎたる靴の片足      漱石
提灯のやうな鬼灯谷に生え    虚子
河童の岡へ上る夕暮       漱石

  ( 明治37年7月、於虚子庵 ) 

コメント
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