和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

目隠しされた状態で。

2013-06-11 | 短文紹介
日経の古新聞をもらってくる。
その5月16日の読書欄が印象深い。
社会学者・竹内洋氏がとりあげていた一冊は
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)でした。
書評の最後は、こうしめくくられておりました。

「・・本書も明晰かつ流麗な文格を感じる。
さらばこそ浩瀚(こうかん)な書があっという間に読めてしまう。読後、時勢に流されない、真の自由主義者がいたことに、勇気づけられ、心地よい余韻がひろがる。第一級の評伝である。」

その書評欄には、
作家・石川英輔氏による
野口武彦著「慶喜のカリスマ」(講談社)の書評もあります。
そこからも引用。

「幕末の日本社会は、教科書に書いてあるほど単純ではなかったことがはっきりわかった。時局に影響を与え得た人物がきわめて多いばかりか、各人の力関係や利害関係が恐ろしく複雑で、政治と軍事の状況がめまぐるしく変化し続けるからだ。しかも、通信が発達していなかったから、広い範囲で同時進行しているさまざまなことを誰も把握できなかったはずだ。」
「その彼(注:慶喜)とても、ほとんど目隠しされた状態で事態を判断し行動しなくてはならなかったのである。・・・その後の歴史の推移をいくらか知っている私が考えても、あの時点で指すべき最善手が何であったのか見当もつかない。・・」

この書評には、「ほとんど目隠しされた状態で事態を判断し行動しなくてはならなかった」とありました。そういえば、
竹山道雄著「ビルマの竪琴」を私は読んでいないのですが、
「竹山道雄と昭和の時代」には、「ビルマの竪琴」からの引用も含まれております。
そこから孫引き。

「・・この頑固なものに対しては、どこからどうとりついて説いていいか、分りませんでした。中には、本当にここで死ぬまで戦おうと決心している人もたしかにいました。しかし、そうではなくて、もっと別な行動に出た方が正しいのではないか、と疑っている人もいるにちがいないと思われました。しかし、そういうことはいいだせないのです。なぜいいだせないかというと、それは大勢にひきずられる弱さということもあるのですが、何より、いったい今どういうことになっているのか事情が分らない。判断のしようがない。たとえ自分が分別あることを主張したくても、はっきりした根拠をたてにくい。それで、威勢のいい無謀な議論の方が勝つ――、こういう無理からぬところもあるようでした。(第三話三)」
(p213)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする