和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

自縄自縛である。

2013-06-06 | 短文紹介
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)を買うことに、
もうすこし待てば、古本屋にでるのかなあ。と思うのでありますが、
今年の3月頃に出た新刊を注文。
それにしても、産経新聞の正論欄での平川氏の文を読めるのは、
現在を知る鋤と鍬をいただけるような鮮やかさを、その都度、感じさせていただけるのでした。まるで、魅力の講義を聞いているような気分。
ということもあって、少し高いのですが
なあに、名講義を聞きにでかけると思えば
これは安いかもしれないと、新刊を買うことに。

さてっと、藤原書店の2013年3月号「機」に
平川氏の文が載っておりました。
そこから、最後を引用。

「文章を書くとは選ぶことである。
選ぶからこそめりはりもつく。
人生も選ぶことである。
『(東京の)有名な府立中学といえば、一中、三中、四中、五中、六中などであった』と私が書いたら、慎重な人から、『そんな書き方をすれば府立二中の関係者の反感を買いますよ』と注意された。その種の気配りを良しとお感じの方も多いであろう。しかしそのような風潮に気兼ねするかぎり、戦前の日本のエリート校であった旧制第一高等学校の教授であった人を語ることは難しくなってしまうのではないか。世の一部の人の反感を過度におそれるならば、当り障りのないことしか書けなくなってしまう。それでは自縄自縛である。私は『竹山道雄と昭和の時代』を率直にありしがままに書きたいと思っていただけに、そのような注意を受けたことに逆に驚き、不安を覚えたのであった。・・・・角を矯めて牛を殺してはならない。エリート教育を受けたからといって、十中八九、人は大した人物とはならない。しかし十人に一人でも偉才を生めばそれで良いのである。私はそう信じている。」


さてっと、買ったからには読むぞ。
コメント
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