和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古本屋の老主人。

2020-07-02 | 本棚並べ
堀田善衛著「定家明月記私抄」(新潮社・1986年)をひらく。
はじまりはこうでした。

「国書刊行会本(明治44年刊)の『明月記』をはじめて手にしたのは、
まだ戦時中のことであった。」

こうして、知り合いの古本屋さんから手に入れます。

「ともあれ、戦時中のある時期にこの三巻本を手にして、
私はほとんど茫然としてしまったものであった。
漢文体であることは言うまでもなく、それもむずかしい
漢字ばかりが詰め込まれていて、返り点も何もなく、
読み下すだけでさえが難儀な、一種独特の文章が
上下二段に黒々と組み込まれているものを、ただ要するに
ためつすがめつ眺めて暮らすほどのことしか出来なかった。
私におどされて大変な苦労をしてさがし出して来た古本屋の
老主人に詫びを言いに行った記憶がある。結局、
そのときはろくに読めないままに机上に積んでおき、
その三巻本はやがて借り出して行った友人宅で
戦災に遭い、焼けてしまった。

そのあと、戦後になってもう一度この三巻本を別の本屋から
入手して、長い時間をかけて、本当にぼつぼつという感じで、
あるときは一年に一度もひらくことなしに、またときには、
その時々の自分の年齢と同じい時に、定家氏が何をしていたかを
見るためにひらいてみるというふうにして馴染んで来たものであった。」

こうして堀田氏の「定家明月記私抄」がはじまり、
そのつぎには、こんな箇所もありました。

「敢えてとりあげて言ってみると平凡なことになるものではあるが、
それはやはり、その何とも言い様がなくなるほどの、自身の日常
行動と宮廷の動静を記するについての克明さ、まめやかさ、
丹念さ加減である。如何なる情熱、執念がいったい、60年間にも
わたっての毎日毎日を彼にしるさしめたものであったかと、
つくづくと考え込まされることがある。・・・・・」(p13)


この藤原定家が晩年になって、百人一首を編んだ、
その人なのですが、わたしはここまで。
はい。今夜は月が出ております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする