和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

実行実践する鴨長明。

2020-07-12 | 京都
堀田善衛著「方丈記私記」(筑摩書房)は
東京大空襲のありさまと重ねながらはじまります。
そのはじまりの方に

「おそらくは私が鴨長明という人を、別して歴史的人物、
歴史上の人物――に違いもないのだが――と思っていない、
あるいは歴史的人物として扱っていない・・・・
彼は、要するにいまも私に近く存在している作家である。
私はそう思っている。・・・」(p30~31)

ちょっと話題をかえて、「いまも私に近く存在している」
ということで思い浮かんだのが、
ドナルド・キーン著「足利義政」(中央公論新社)でした。
京都の東山に建てた山荘へ言及したなかに、

「義政の山荘の中で、二つの建物だけが残存している。
おそらくこの二つの建物の最も意外な特徴は、
室内の造作が我々を驚かせないということであり、
また義政の世界と我々自身の世界を膨大な時の流れが
隔てているという実感を与えないことである。それどころか、
どの部屋も実に見慣れた感じで、ふだん我々が目にする
無数の日本の建物にある部屋とあまりによく似ているので、
それが500年前の部屋であることを忘れてしまいそうになる。」
(P135)

もどって、堀田善衛著「方丈記私記」に
鴨長明の方丈の家を語った箇所が思い浮かびました。

「それにしても、妙な家を考えたものである。
方丈、四畳半、高さは七尺で、組立て式で移動式である。
釘やなんぞのかわりに、材木の継ぎ目には懸金(かけがね)をかけた。
つまりは組立て式、である。車に積んでたったの二台、二両。
こういう桁はずれの家を、彼はおそらく大原でみずから『差図』(設計図)
を引いて考えたものであったろう。いろいろと考え、いろいろな差図を
引いてみて、この組立て方式移動式がよいということになった。
よいということになったものを、実行実践するところに、長明がいる。
考えるだけではない。本質的にこの男は実践者である。

理屈は、いわば後から来る。この方丈記の文体の腰の軽さ、
軽みは、他にもちろん、もっと重要な理由があるにしても、
その一面としては実践者の文体だ、ということがあろう。
無常観の実践者、という背理がそこにある。」(P180)

うん。せっかく引用したので、
もうちょっとつづけておわります。

「『積むところ、わづかに二両、車の力を報(むく)ふほかには、
さらに他の用途いらず。』――車賃を払うことのほかには、
他の費用はまったくいらない。ということは、彼がこの移動式
住宅を日野山に据えつける以前に、最小限のところで一度は、
二輛の牛車に積んで動かしたことがあるということであろう。
大原山から日野山へと、たとえば京郊外の春の日に、牛車二台で
ギイギイとのんびりした音をたてながら、この家の材料を積んで、
その牛車のそばに自らつきそって歩いている。
神主から転向した坊主頭の老長明を想像してみる・・・・

出家、世捨人、隠者というもの、それは内心のこととして
如何なる深く刻み込まれたような思想的、宗教的、文学的問題を
もつにしても、外側からこれを見るとき、必ずやそこに、一抹の、
いや一抹などというにとどまらぬ、一種の滑稽感が身に添っていた
筈である。そんな外面、外見(そとみ)のことなど拘るべきでないと
言う人があるであろうが、如何に世外に出た人といえども、
悲しいかな、と言うべきか、滑稽にも、と言うべきか、
外面、外見の現実を消し去ることは出来ない。」(P181)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする