和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

竹中郁の京都。

2020-07-04 | 詩歌
淡交社の「古寺巡礼京都・20」(昭和52年)は金閣寺・銀閣寺。
その表紙に竹中郁の名前があります。
竹中郁の文は題して「少年の目・老年の目」。
その文は、「母につれられて、わたくしは幼少年時代に
神社や仏閣をたくさん回りあるいた。」とはじまります。

ちなみに、思潮社の現代詩文庫「竹中郁詩集」の年譜には
「1904年(明治37年)神戸市兵庫区永沢町に生まれる」とあります。
本文にもどると
「60年という間隔をおいて、母につれていかれた季節と合致させて、
このたびの訪れを試みたらどうなるか。そう思って銀閣寺へは8月さなか、
金閣寺へは大寒のころというねらいで出かける・・・
大正はじめのころは、京都へは神戸からは泊りがけか、
まるまる一日を費やしてかしてでないと辺鄙な銀閣金閣へは
参詣できなかった。・・・・門前の賑わいなどという気配は
さらさらなかった。森閑としていた。」

竹中郁は1982年(昭和57年)満77歳で亡くなっております。
この掲載文「少年の目・老年の目」が昭和52年に出ておりますから、
昭和52年は、竹中郁73歳。それからさかのぼって60年前だとすると、
12~13歳のころか。夏冬二回にわけての出かけて文章にされている。
それも加味して、それに、ご自身を「子供」と語っていることから、どうも
大正1~2年で、小学校の低学年だったようなイメージがしてきます。

「母とつれだって訪れたと書いたが、そのときに子供として感じたことは、
山峡の寺のしずけさ一点ばりであった。・・・・
子供の感覚はあまり動かぬものらしい。蝉しぐれが耳を一ぱいにして、
町そだちのわたくしには、ただただ怖しいしずけさの淵に立ちすくんで
いたような覚えがある。庫裡の書院で絵ぶすまに近く坐らされて、
慣れぬ抹茶を供応された困惑も忘れられない。氷水かサイダーでも
呑みたい暑さの中で・・・子供は逃げ出したいくらいであった。

しかし、その茶の出る前から、しずけさのほかにわたくしを
とらえて離さぬものがあった。襖絵の出来ばえではなく、
その絵の中の墨の色であった。つねづねわたくしの生活圏の
中では見当らない墨の色の種々(いろいろ)な諧調をみつけ出して、
墨というものはこうして使うものなのかと考えこんでいた。・・・・・

おちついた象牙色の鳥の子紙の襖に軽やかにしみこんだ
濃淡の墨の諧調は、なにも初めて襖絵というものを
見たわけではないのに、つよく子供心にひびいた。
そこが寺院という場処の、しずかな昼であり、
白い砂の照り返しの光りのただよう天井の
高い座敷の一角でありしたからかもしれなかった。」


はい。年譜にもどります。
1916年(大正5年)12歳 3月、兵庫県立第二神戸中学校の
入学受験に失敗し、4月、兵庫高等小学校一年に入学。
1917年(大正6年)13歳 4月、兵庫県立第二神戸中学校に入学。
同級生に小磯良平がいて、生涯にわたる親交はじまる。

さてっと、私の好きな詩集に
「竹中郁少年詩集 子ども闘牛士」(理論社)があります。
その詩集の最後には、足立巻一氏の文がありました。
そのはじまりを引用。

「竹中郁先生は、1982年3月7日、77歳でなくなられました。
この詩集は、先生が日本の少年少女に贈り遺された、
ただ一冊の詩集です。
なくなられる10年ほど前、竹中先生はこの詩集の原稿を
作っていられました。これまでに書いた詩のなかで、
特に少年少女に読んでほしい作品ばかりを選び、
むつかしい文字やことばは子どもでもわかるように
書きなおしていられました。
ところが、いろいろなわけがかさなって出版がおくれ
ているうちに、先生は急になくなられました。・・・・・
先生を知る有志は、まず『竹中郁全詩集』を一周忌に出し、
つづいて三周忌に『竹中郁少年詩集』を刊行・・・・
三周忌の霊前に供えられることになったのです。・・・・・
絵はすべて竹中先生が描かれたものです。しかし、
詩集原稿には絵がついていなくて、こんど先生の
絵やカットを集めて組みあわせました。
先生は絵がお得意で、ハガキにはかならず絵を描いて
出されましたが、ことにお孫さんにはそんな絵はがきを
たくさん送っていられました。大部分はその絵はがきの
絵を借りたのです。」

はい。竹中郁少年詩集は、絵を見る楽しみもあります。
詩集を出してきたからは、ひとつ引用しなくちゃね(笑)。


   花は走る    竹中郁

 すみれが済んで 木瓜(ぼけ)が済んで
 山吹(やまぶき) チューリップ
 やがて胡蝶花(こちょうか) 夾竹桃(きょうちくとう)
 わが家の小庭のつつましい祭りつづき
 幼稚園友だちが誘いにきて
 孫が答えながら走りでてゆく
 そのにぎやかな声と足音

 去年今年(こぞことし)と年々
 わが右の高頬(たかほお)に太るしみ
 鏡に見入るその背後(うしろ)を
 花は 花は走る 
 花は走りぬける


おっと、忘れるところでした。
竹中郁が子どもの頃、銀閣寺で見た襖絵は?

「古寺巡礼京都 20」の図版解説にありました。
「当寺の方丈の襖絵は・・・・
室中の間は与謝蕪村筆の樹下人物図、
下関の間も同じく蕪村筆の棕櫚に鴉図、
向って右側の上関奥の間は、蕪村筆山水図、
その手前の間が、池大雅の琴棋書画図となっている。」
(p149)

はい。襖絵の写真も、この本のページのはじまりにありました。
コメント
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