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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

見ぬ世の人を友とする。

2020-07-26 | 本棚並べ
山崎正和訳「徒然草・方丈記」(学研M文庫平成13年)。
これは、1980年『現代語訳・日本の古典⑫/徒然草・方丈記』の
タイトルで、学習研究社から出版された作品を文庫化したものです。
とあります。
徒然草・方丈記つながりで、買ってあったまま、
本棚に眠っておりました(笑)。
とりあえず、徒然草の箇所をパラパラとひらく。
「読書の喜び」と題する短文がありました。
短いので全文を引用。

「ひとり、灯のもとに書物をひろげて、
見も知らぬ昔の人を友とすることこそ、
このうえなく心の慰(なぐさ)むことである。

書物は、『文選(もんぜん)』の趣深い巻々、
白楽天の詩文集、『老子』の箴言や『荘子』の各篇が何よりであるが、
わが国の学者たちの書いたものも、古いものは、
心にしみ入ることが多い。」

はい。『文選』も読まないし、
白楽天の詩文集も読まない。
老子や荘子も読まないなあ。
でもね。たとえば、GOOブログの見知らぬ方々の
日々更新されるブログを読ませてもらっていると、

『見も知らぬネット上の人を友とすることこそ、
このうえなく心の慰むことである。』なんて、思ってみたくなる。

とろこで、せっかくなので、徒然草原文を
岩波文庫から引用してみることに。
第十三段に、それはありました。
はい、原文には題名はありません。

「ひとり、燈火(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
・・・・・・
この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、
あはれなること多かり。」(p36)

うん。山崎正和氏には「太平記」の訳文もありました。
河出文庫(1990年)に4巻本としてあります。
うん。ぜんぜん読まずに、本棚にありました(笑)。
せっかくの機会。あとがきでもと第4巻目をひらくと、
最後に「訳者のことば」がありました。そのはじまりは

「ひとつの世界が崩壊の危機にさしかかったとき、
不安の極に達した人間は、過去の事件のなかに先例を求める。
歴史はくりかえすとか、歴史に法則があるといった信仰とは無関係に、
同じような苦境に立ったとき、もうひとりの不安な人間が
いかに生きたか、という関心からである。

同時代的な連帯などという甘い夢が信じられないほどの
孤独に追いこまれたとき、人間はもうひとりの孤独者との
縦の連帯を求めるのであって、これがおそらく、『歴史』という
ものにたいする人類のもっとも根源的な要求であろう。

『太平記』は、まさにそのような意味で典型的な『歴史』文学だといえる。
この物語は、たんに時代崩壊の意識に立ってものを見ているだけではなく、
崩壊の意識そのものをさまざまな人物の姿を借りて描き出している。
・・・・」(p249)

ちなみに、第4巻には、司馬遼太郎の解説もありました。
うん。買ってあっても読まないだろうなあ全四巻。
わたしはまだ山崎正和著「室町記」も全部読んでいない。

コメント
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