和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

兼好法師と、道知れる人。

2020-07-21 | 古典
高橋洋一著「『NHKと新聞』は嘘ばかり」(PHP新書2020年)。
はい。新聞の見出しを見るようにして、
高橋洋一氏の新書の「はじめに」を読む。
はじまりは

「私の情報源を述べると、もう25年以上前からテレビではなく、
インターネットの公式機関発表の一次資料です。
もちろん新聞でもない。なぜなら、テレビや新聞に
本当の意味で独自の取材に基づいた情報はないからです。

新聞記者はよく『新聞には一次情報が記されている』といいます。
これは『嘘』です。実際に紙面を見れば、政府からマスコミ用の
二次資料をもらい、せいぜい有識者に取材して入手した
コメントを載せている程度だからです。

他方で近年、自らインターネット動画の番組を立ち上げて
意見や情報を伝える専門家が増えています(私もその一人です)。
有識者が直接、発信するのが本物の『一次情報』です。
人から聞いた話を伝えるのは、あくまで二次情報にすぎません。」

はい。これが高橋洋一さんの新書のはじまりの一頁全文です。

うん。私はこれで満腹(笑)。
なぜ、この高橋洋一さんの新書が思い浮かんだかといいますと、
徒然草の第73段を思い浮かべていたからでした。
じつは、昨日から世界文化社の
「日本の古典⑧」グラフィック版「徒然草方丈記」をひらいていて、
そこに掲載されている『徒然草絵巻』を楽しくめくっておりました。
この本の徒然草の担当は島尾敏雄氏とあります。
この絵巻を見ながら、島尾氏の現代語訳を読むともなしに
読んでいると、第73段の「世に語り伝ふる事」が鮮やかでした。
うん。引用したくなりました。


「世間が語り伝えることは、本当のことだとおもしろくないものなのか、
大方はうそばかりだ。
にんげんはおよそ物事を実際以上に語りたがるものだ・・・・
だからそれぞれの道の専門の名人のすぐれていることなど、
その方面の事に明るくないわからず屋が、考えなしに
神様ででもあるかのようにあがめて言っても、
その道がよくわかっている者にとっては少しも信ずる気が起きない。
何事もうわさにきくのと現に見るのとでは違うものなのだ。」

はい。徒然草第73段は、こうはじまっております。
「その道がよくわかっている者」は、原文では「道知れる人」
となっております。うん。高橋洋一氏を思い浮かべたのでした。
それはそうと、この第73段は短いので端折ってでも引用を
つづけてみます。

「・・・・・・更にいかにももっともらしく
所々不審そうな様子を見せながらよく知らぬふりして結局
つじつまを合わせるように話すうそはおそろしいことだ。・・・」

なんだか、テレビのワイドショーのコメントを評しているよう
にも読めてきます(笑)。

うん。最後などは、現代情報への個々人の処方箋だと
思われますので、こちらも引用しておきます。

「とにかく、うその多い世の中だ。
そんなことはよくある珍しくもない事だと
心得ていさえすれば万事まちがいはない。

庶民のあいだではきいてびっくりすることが多いが、
教養ある立派な人は異常事を語らないものだ。

そうは言っても神や仏の奇蹟や、仮ににんげんのすがたとなって
現れている人の伝記まで一概に信じないというわけではない。

と言うことは、世俗のうそを本心から信ずるのも
馬鹿らしく見えるし、と言って『決してそんなことはない』
などといきまくのもつまらないことだから、
大体は本当のことであるとしてあしらい、
しかし一途(いちず)には信ぜず、さりとて
馬鹿にしてはならないという意味だ。」

はい。これは現代語訳なのですが、
ちなみに、最後の箇所の原文も
引用して、比べてみるのも一興です。

「・・・これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、
『よもあらじ』など言ふも詮(せん)なければ、
大方は、まことしくあひしらひて、偏(ひとへ)に信ぜず、
また、疑ひ嘲(あざけ)るべからずとなり。」
(岩波文庫「徒然草」p131)




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