本を読めないからでしょうね。
本の紹介文を読むと、夢を見るような気がします
(じっさいに、本を読んでいる方には笑われるかな)。
というので、私は書評本を読むのが好きです(笑)。
何でこうして、はじめるかというと、
向井敏著「本のなかの本」(毎日新聞社1986年)を
本棚から取り出してきたから思うのでした。
向井敏さんのこの本には150冊の本が紹介されている。
それなのに、私はそのなかの、数冊しか読んでいない。
うん。これからも読まないのだろうなあ(笑)。
けれども、この本の紹介本は好きです。
ああ、世の中には、こんな本があるのだと教えてくれる。
うん。それが本の夢を見るような気になるよろこび。
はい。梅雨時は、なんとなく本棚が黴臭くなります。
こういうときは、楽しい話をつづけます(笑)。
「書評史上まれに見るすばらしい言葉」と向井さんが
指摘しておられる箇所があるのでした(p143)。
うん。短い文なので引用します。向井敏さんが
中野重治著「本とつきあう法」を取り上げた箇所です。
まずは、中野氏の言葉の引用からはじまっておりました。
「歩きまわったからといって遍歴したということにはなるまい。
四国西国とか、学問上・宗教上の問題とか、何かそこに目安が
なければ遍歴といえぬという気がするが、その気持ちからいうと、
わたしなどは読書遍歴はしなかった、いくらか歩きまわったことは
歩きまわったが、コースはなかった、札所もなかった、さらにいえば、
歩きまわるところまで行かなかった、まずはぶらついたという
ところだという気がする。」
はい。枕言葉のようにして、引用からはじまっているのですが、
2頁の短い文の、最後の箇所でした。
「・・集中の圧巻『旧刊案内』のなかに、芳賀矢一、杉谷代水の
共著になる『作文講話及文範』、『書簡文講話及文範』に触れた
章がある。文章と手紙の書き方を説いたこの古い二冊の本の
ために、中野重治はその美質を簡潔的確に評したうえ、
書評史上まれに見るすばらしい言葉を捧げた。
その頌辞に親しく接するだけのためにも、
この本はひもとくに値する。いわく、
ああ、学問と経験とのある人が、材料を豊富にあつめ、
手間をかけて、実用ということで心から親切に書いてくれた
通俗の本というものは何といいものだろう。 」
はい。これを読んだ私はといえば、
ネット古本屋に、出品されるのを待って
「作文講話及文範」上下巻と
「書翰文講話及文範」上下巻との
両方を揃えました。あとは、パラパラとひらいて、
いつかは、読もうと本棚へ並べたのでした(笑)。
ちなみに、
「作文講話及び文範」はその上巻だけですが、
講談社学術文庫(1993年)にはいっております。
あと、中野重治著「本とつきあう法」(ちくま文庫・1987年)。
うん。講談社学術文庫の「作文講話及び文範」をひらいて、
第一講話の前のページに引用された漢書を読む。
智者千慮、必ず一失有り。
愚者千慮、また一得有り。
文庫の最後には索引があって、その次のページに
こんな引用がありました。最後にそこを孫引き。
「汝(なんじ)文に堪能なりと思ふや、そを信ずるなかれ、
そを信ずること遅かれ。天の汝に命ずる所のものは、
語ることにあらず、書くことにあらず、唯々行ふことにあり。
カーライル 」
(p480)
はい。このついでになんですが、
GOOブログで毎日更新されているのを、
見させて、読ませていただいて、おかげで
楽しませてもらっております。