寒がりな私の場合、いつも足首の方から寒さがあがってくる。
冬の夜は、レグウォーマの厚いのが必需品。それに湯たんぽ。
うん。最近になって、足のももとか、足首回りの筋肉を
重点的に鍛えてみるのもよいらしいと側聞しましたので、
とりあえず半坐りの格好で、足の筋肉を刺激することに。
そうすると、これは蹲踞(そんきょ)の姿勢ぽくなります。
思い浮かんだのは、安岡章太郎の蹲踞の姿勢というのでした。
鷲尾賢也著「新版 編集とはどのような仕事なのか」
(トランスビュー・2014年)。この鷲尾氏は講談社の編集長。
本棚からこの本をとりだしてくる。
とりあえず、蹲踞までの箇所が印象的なのでまとめて引用。
編集者として関わった安岡章太郎を述べている下りです。
「長期連載ではなんといっても、安岡章太郎『僕の昭和史』であろう。
『本』の編集のなかでいちばん印象に残っている仕事である。
当時『流離譚』を『新潮』に連載中で、おそらく先生のなかでは
軽い気持ちではじめられたものだろう。ところが書いているうち
に熱が入ってきた感じがする。文学的自叙伝の傑作である。
・・・・担当していてとても不思議だったのは、
作家の頭の構造である。安岡さんは書き出すと、ご自身の体験されたこと
のディテールがどんどん思い出されてくる。日記もメモもなにもないのに、
じつに正確でリアルなのである。ソウルにいた幼少時代、戦争中のはなし・
記憶力とは異なった『思い出力』のようなものに、たびたび感嘆した。
『アメリカ感情旅行』(岩波新書)は、奥様の簡単な家計簿の数字が
唯一の資料だったそうである。その後、安岡さんは『群像』で
『果てもない道中記』を連載した。その取材にも同行したのだが、
いつもメモなど一切とらない。
カンヅメになっていただくこともあった。・・・・・・・
調子にのると、安岡さんはおかしな格好になる。
相撲の蹲踞(そんきょ)のように腰を浮かせて書くのである。
そうなったらしめたもので脱稿も間近い。・・・ 」(p228~229)
う~ん。ここはひとつ。運動と読書をかねて
蹲踞のような姿勢でもって『果てもない道中記』を読む。
というのもありかなあ。