「千葉県安房郡誌」(大正15年6月・千葉県安房郡教育会)により、
安房を襲った関東大震災の被害状況は、
「・・・実に一瞬時で死者1200余人、傷者3000余人を出し、
家屋の倒潰したものは3万有余戸を数ふるに至った。
その範囲は北條・館山・船形・国府・館野の各町村から
東方に亘る一帯の地を激震地として殆ど全郡に及ぼし
強烈なる余震は日に数10回を算し、
加ふるに海嘯(津波)の襲来を叫び、鮮人の来襲を伝へ
人心は兢々として昼夜為すところを知らなかった。・・・ 」
ここには、震動・余震に関連する箇所をピックアップしてみます。
「 震源地点は、安房洲の崎の西方にして、
大島の北方なる相模灘の海底である。
震動の回数は、初発より9月25日までに850回を算した。 」
「 地震襲来の状況を記せば、上記正午2分前、
南西より北東に向て水平震動起り、続いて激烈なる上下動を伴ひ、
震動は次第に猛烈となり、別表に示すが如く、
鏡浦沿ひの激震地方は、大地の亀裂、隆起、陥没、随所に起り、
家屋その他の建築物又一としてその影をとどめざるまでに粉砕され、
人畜の死傷限りなき一大修羅場と化した。
続いて大小の余震間断なく襲ひ、大地の震動止む時なく、
折柄南西の方向に恰も落雷の如き鳴動起り、
余震毎に必ず此の鳴動を伴った。
人心為めに恟々、全く生きた心地がなかった。・・・ 」
はい。もし関東大震災級の地震が、またこの地に繰り返されるならば、
『 大小の余震間断なく襲ひ、大地の震動止む時なく 』
ということを、肝に銘じなくてはならないのだろうなあ。