和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

人心の動揺底止まりする所を知らざる時。

2024-01-28 | 地震
関東大震災を記録した「安房震災誌」をひらき、

未曽有の関東大震災に見舞われた人心の動揺を
どのように言葉で現わしたかを拾ってみました。

館山町役場報に掲載された言葉がありました。

「  余震はひんぴんとして来たり、
   海嘯の噂はひんぴんとして起り、
   不逞漢襲来の叫びはひんぴんとして伝えられ、
   人心は不安と恐怖とに襲われて、
   ほとんど生きた心地もなく、
   平静の気合は求めようとしても求められず、
   ただ想像力のみ高潮して戦々兢々としていた時であった。 」


話しは変るのですが、産経新聞2024年1月28日のオピニオン欄
「新聞に喝!」藤原かずえさんの文が印象に残りました。
令和6年能登半島地震の発生にともない・・・
北陸電力は発生直後から被害の調査を開始し、
その結果と逐次速報して・・・

さて、藤原かずえさんは
「一部のマスメディアは公表された施設の被災状況を
 不相応に問題視し、センセーショナルな見出しで
 一般市民の不安を不必要に煽る報道を展開しています。」

として、東京新聞と、毎日新聞の例をとりあげておりました。

「1月13日付東京新聞は『震度5強の志賀原発で「想定外」続々』と題し、
 変圧器の故障で外部電源の一部の受電が止まったことなどを
 『想定外』と報じました。

 しかしながら、敷地外の山林を通過する外部電源の喪失は、
 原発にとって明確に『想定内』の事態です。

 事実、志賀原発では、外部電源の喪失に供えて
 多様かつ多重な非常用電源・・が待機していました。・・
 ちなみに外部電源5回線のうち3回線が今でも受電可能なので、
 非常用電源の使用には至っていません。 」

毎日新聞については、こうあります。

「北陸電力は、大地震発生当時の施設全体の概査を基に速報した
『推定値』を、翌日以降の個別の精査に基づき確度の高い数値に
 更新しました。この至極常識的な事業継続計画対策を

『情報が二転三転』(毎日新聞)などとして、
 現場や被災地の混乱をいたずらに増長する報道が散見されました。」


もどって、これから関東大震災級の地震が、関東全域に起った場合に、
からならず、流言蜚語が飛び交うわけですが、
とりあえず、東京新聞・毎日新聞は、今から除外してかかることにします。

さてっと、大正12年9月1日の関東大震災です。
大正13年1月26日に安房郡長・大橋高四郎は、
青年団・消防団へと感謝状を出しておりました。
最後に、その文面を引用しておきたくなります。

       感謝状

 前古未曽有の震災にあたり
 本郡の被害は実にその極に達し
 土地の隆起陥没相次ぎ
 家屋の倒潰せるもの算なく
 死傷者累々たるもこれを処置するに途なく
 災民飢を訴ふるも給するの食なく
 傷者苦痛に泣くも医薬給するあたわずして
 惨状見るに忍びざるものありき
 加ふるに流言蜚語盛んに伝わり
 人心の動揺底止まりする所を知らざるの時
 団員よく協力一致
 自己の被害を顧みずして
 あるいは死傷者の運搬に
 あるいは倒潰家屋の取り片付けに
 あるいは慰問品食料品衛生材料等の荷上げ配給に
 その他交通障害物排除
 または伝令に従事せる等
 その熱烈にして敏速なる奉仕的活動は
 まことによく青年団(軍人分会)の
 精神を顕著に発揮せるものにして
 本郡における災後整理並びに
 救護事業遂行上貢献せる所
 すくなからず
 ここに謹んで感謝の意を表す。
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