地方に住んでます。ネットとかで本が買えない頃は、
新刊でも、地方の書店にない場合は、注文を出して本が届くまでまず1週間。
もちろん、古本の購入は、都会へ出かけておりました。
それだって、ただ漫然と古本屋をまわっておりました。
現在は、有難いですね。ネットで新刊も古本も買えます。
早いと、翌日届きます。新刊だと当日夜届くこともある。
古本は郵便が土日休日配達しないので遅れることもある。
うん。あとは届いた本を読むだけになりました。
古本で注文してあった、「大菩薩峠・都新聞版」全9巻(論創社)届く。
神奈川県海老名市・馬燈書房。5550円+送料1000円=6550円なり。
帯つき全9巻。ページもきれいです。あとは、読むだけ(笑)。
とりあえずは、持っていても未読だった
安岡章太郎著「果てもない道中記」上下巻(講談社・1995年)と並べてみる。
私みたいなへそ曲がりは、最初から読もうとすれば、すぐに挫折します。
正面から向かわないで、裏口から。という手もあり。
何でもいいから私の望みは全巻へ目を通すことです。
さてっと、「果てもない道中記」の下巻。その帯には
「『大菩薩峠』の雄大なスケールを堪能する魅惑の旅」とある。
では、下巻の裏口、最後の方をひらいてみる。
「龍之介を天成のまろうどと呼び、それ故に大菩薩峠の物語は
一種の貴種流離譚であると言ったのは堀田善衛である。
このことをどう理解すればいいのだろうか。・・・ 」(p404)
そういえば、安岡章太郎著「流離譚」というのがあった。
『果てもない道中記』下巻のいちばん最後の方を引用。
「介山は、昭和19年、終戦の1年前、4月28日に死去した。享年59歳」
(p408)
「当時としては珍しく中国とアメリカへ二度の海外旅行にも行っている。」
(p410)
「・・・『大菩薩峠』は、初出原稿こそ都新聞に載ったが、
あとは介山が指示して家族総出の手造りで出来たもので、
現在のマス・メディアなどといわれるものとは異質無縁の産物である。」
(p414)
ということで、この本の終りの4行を引用。
「 おもえば『音無しの構え』という消極性の極限が
無比の積極性につうずるという戦法は、
徳川末期の日本の生んだ極めて日本的な対応法であり、
現在にいたるまで、これは私たちの骨がらみになった
世渡りの極意の如きものであろう。
これを破り、これを越えるには、やはり
『 忍び踊り 』を踊るぐらいしかないのであろうか。 」(p417)
はい。最後しか読んでないのですから、なにもわからない。
『大菩薩峠』をパラパラ読みで、読み終えるのが今年の夢。
今年の夢が、かないますように。