回転ずしで、注文する際に、ワサビ入り、ワサビなし、と
選択ができるようになっているのですね。気づきませんでした。
思ったんですけれど、俳句の解説にも、
ワサビ入り、ワサビなし、と選べるかもしれません。
小沢信男著「俳句世がたり」(岩波新書・2016年)。
パラリとめくっていたら、震災忌という句がありました。
震災忌置く箸の音匙の音 三橋敏雄
そこを解説している小沢氏の文は、
「9月1日が震災忌。」とはじまっております。
「そもそも大正12年(1923)9月1日の真昼時・・・
大地震が関東一円を襲い、火災が多発して東京の下町は一面焼け野原。
死者10万余人のうち約4万人ほどが本所被服廠跡で焼死した。
跡地の一部を公園にして慰霊の震災記念堂を建立した。
その22年後に、東京大空襲によって、より広大な焼け野原。
ただし震災記念堂の一帯は、同愛病院から両国駅までぶじに残った。
そこで無量の焼死の遺骨をここに納めて、東京都慰霊堂と改称した。
以来、3月10日と9月1日の、春秋に大祭が催されております。
春の大祭は賑わう。空襲の生きのこりが孫子をつれてくるからね。
くらべて秋は、ややさびしい。もはや88年も昔のことだもの。
しかしこちらこそが本家ではないか。 」(p46)
はい。俳句だけじゃ分からなかった指摘がなされて、
まるで、ワサビ入りの俳句解説を読んでいる気になります。
この箇所の引用をつづけます。
「・・震災時に、築地本願寺も全焼しながら、
酸鼻の被服廠跡へ僧侶たちは駆けつけて、
死者供養と、生きのこりたちへの説教所、託児所もひらいた。
さすがは大衆のただなかの浄土真宗。
その説教所が寺となって『震災記念 慈光院』と、現に門柱に掲げる。
そして9月1日には『すいとん接待』の看板が立つ。
境内は付属幼稚園の母子たちで大賑わいの、そこらいちめん
『 置く箸の音匙の音 』なのですよ。
平成の童子たちが、大正12年の非業の死者たちとともに
たのしむ施餓鬼(せがき)供養でした。
ゆきずりの者にも気前よくふるまうので、
折々に私も一椀ご相伴にあずかっております。・・・ 」(p47)
内容としては、このあとも欠かせない文が並ぶのですが、ここまで。
いつか機会があれば、そこに立ってみたいと思いました。
「酸鼻の被服廠跡へ僧侶たちは駆けつけ・・」という箇所などは
私には、方丈記のなかの一文にであったような気さえしてきます。