岩波文庫の柳田国男。
「遠野物語・山の人生」の最後には、
桑原武夫氏の文が2つ。
「『遠野物語』から」(「文学界」1937年7月号)からの再録と、
それからそのあとに、桑原武夫による文庫解説(1976年3月)。
はい。何だか、本文が絵画だとすると、
桑原武夫の2つが、りっぱな額縁に見えてきます。
さてっと、それなら岩波文庫の『木綿以前の事』は
どなたが、解説を書いているかというと益田勝実氏。
うん。この益田氏の解説を、改めて読めてよかった。
まるで、この本のねらいを柳田国男の晩年までをも視野に置き、
人生の全体を、掬い取ってゆくそんな胸のすくような解説です。
ここでは、題名の『木綿以前の事』にかかわる箇所だけを引用。
うん。これだけでいたれりつくせりの内容。私はもう満腹です。
「・・・考えてみると、いまはもう化繊・混紡の時代で、
木綿の時代でもなくなっている。一時代かわったのだ。
木綿の時代からは前代であった麻の時代が、
いまからは前々代ということになる。
そのこととかかわってくるが、≪ 木綿以前 ≫といえば
麻のことのはずなのに、『木綿以前の事』は、
麻の着物のことを書いたものではない。書いてあるのは、
はんなりと細工(さいく)に染まる紅(べに)うこん 桃隣
という、上方特有のことば『はんなりと』をうまく生かした句に
託された、木綿への心情を堀り起こすところからはじまる、
麻から木綿への過渡期における木綿を求めるこころのことである。
≪ 木綿以前 ≫という、麻でもなく木綿でもない言い方を登用し、
≪ 木綿以前の時代 ≫などとせず、『木綿以前の事』というのは、
歴史を動かすものがなにか、木綿へおもむく人びとの心のなかで
作り出されていく新しい営みが、しだいに波及することを、
つかみとりたかったからだろう。
柳田国男の民俗学では、≪ 木綿以前の事 ≫という用語・命名があり、
麻の時代でなく、木綿の時代でもなく、その過渡期を相手どる
ということが、ごくあたりまえに感じられるが、
今日の民俗学一般の研究のあり方からすれば、
それは異例、特異の現象である。
日本民俗学は柳田国男がきりひらいた。
しかし、今日の日本民俗学の一般状況を基準にしていえば、
『木綿以前の事』は、
さまざまな点で民俗学になじまない(法曹界の言い方を借りていうと)、
そういうことになりそうである。 」( p298~299 )
はい。これを引用すると思い浮かぶのは、
柴田宵曲さんの芭蕉に関する文でした。
「芭蕉は自ら俳諧撰集を企てたことは無かったが、
俳書といふものに就ては或意見を持ってゐた。
例へば俳書の名の如きも。
『和歌、詩文、史録、物語等とちがひ俳言有べし』
といふので、『虚栗』以下、芭蕉の名づけたものは
皆さういふ特色を具へてゐる。・・・・」
( p57「柴田宵曲文集」第一巻 )
う~ん。益田氏の解説をさらに引用したくなりました。
この単行本(文庫)のことを語ります。
「『木綿以前の事』に関していうと、
「木綿以前の事」から「生活の俳諧」までの諸章のいたるところで、
『芭蕉七部集』が縦横に使われて、俳諧だけが教えてくれる近世の
常民のたたずまい、心づかいの動き方を追っているのも、
〈 あまりに詩人的な 〉ことと受けとった民俗学徒があったかもしれない。
・・・・・・・・
他の伝承資料ではつきとめえない、前代の人びとの心のふるまいが
わかる、かけがえのない前代への通路という民俗学的な接近が中心で、
単なる好みからの俳諧との交わりではない。・・・・・・
そのへんも、民族の暮らしのなかの心づかいを、
歴史を動かしていくいちばん大きな力、と見ている柳田と、
眼に見えず、探りようのない心づかいは、
なんとも相手どりにくいと考えている側との、
〈 民俗 〉というものに対する了解のちがいが、
眼につくことがある。・・・ 」( p394 )
うん。ということで、柳田国男著『木綿以前の事』をよみながら、
芭蕉の『俳諧』をも、同時に読みすすめないといけなさそうです。
そうでないと、いきなり題名でつまづいてしまうかもしれません。
コメントありがとうございます。
のりピーさんが、
『木綿以前の事』という題名で
つまづかれた感性には脱帽です。
人はどこで、躓くかわかりませんね。
私は今まで『俳句』で躓いてました。
水槽の魚が海へともどされるような
そんな感じを思い描いてしまいます。
水槽という俳句。海という俳諧。
うん。読まないうちからそんな
空想の大風呂敷を楽しんでます。