和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

コロナ禍の整然たる通史。

2020-05-12 | 古典
マンゾーニの「いいなづけ」。
その第31章・32章を読んだだけで私は満腹。
他のページは読みません(笑)。

単行本にして40ページほど、
1頁が上・下二段です。途中挿画もあります。
要約は、私にはできないので、名残惜しいのですが
引用は今日でおしまい。ちなみに、第32章の最後は

「ここではまたわれわれが作中人物に話を戻すことにしたい。
なおこれから先は、この物語が終るまで、
作中人物と離れることはもはやないであろう。」

うん。第31・32章が、それこそ、ペストの記述に終始して、
作中人物から離れていた箇所なのでした(笑)。
第31章のはじまりのページにペストについて

「さて同時代の数多(あまた)の記録を検討してみると、
どれか一つの記録だけでそれで当時の様子が
首尾一貫して明確にわかるというものはない。
しかしどの記録にしても当時の歴史を再構成する上で
なにがしかの貢献をしないものはない。・・・・」

「後代の人士でそうした一連の記録類を吟味照合し、
あのペストの歴史について、事件を追って整然たる通史を
書こうと試みた人はいなかたようである。

それだから人々があのペストについて普通持っている観念は、
どうしても曖昧模糊としたものにならざるを得なかった。」

はい。このブログでは、これで、この本は最後にしますので、
もう少し丁寧に引用しておきます。

「人々は漠然とあの大厄は非常に多くの天災と
多くの人災から成る不幸な事件であったと考えている
(実際、天災も人災も想像を絶する数だった)。
だがそれは実際の史実に基いた見方というよりも
勝手な思いこみや判断から生れた見方なのである。

それにその実際の史実なるものもおよそまとまりがなく、
しばしば一番大切な状況についての情報を欠いている。
時間の推移も区分もはっきりしていない。そのことは
とりもなおさず、因果関係や事件の経緯や経過について
ほとんどなにもわからないことを意味する。

筆者は、なにはともあれ非常な努力をもって、
公刊されたあらゆる報告書や、未刊の幾つかの報告書や、
また多くの(といっても残されたものが少ない割にしては
多くの、の意味だが)いわゆる公文書なるものを調査照合する
ことにより、世間が期待するような物ではないにせよ、少なくとも
かつて書かれたことのないような物を作成すべくつとめた。
・・・・」

これが『いいなづけ』の第31章のはじまりでした。
うん。私の紹介はここまで(笑)。

もう一度、
産経新聞2020年3月19日の文化欄の記事から引用して終ります。
題は「コロナ渦中古典に学ぶ・イタリア文学『いいなづけ』」。
その途中を引用。

「最近話題になったきっかけも、
現在新型コロナウイルスの感染拡大に苦しむ
イタリアでの、あるメッセージだった。

『外国人を危険だと思い込むこと、
感染源の(執拗な)捜索、専門家の軽視、
根拠のない噂話、必需品の買いあさり・・・。
(同作に記された)17世紀の混乱は、
まるで今日の新聞のページから飛び出したようだ』

ミラノの・・・ボルタ高校のドメニコ・スキラーチェ校長は
2月下旬、公式サイトで同作を引用し、過去のペスト流行時と
現在の社会状況に通じる点があると指摘。そのうえで、

『今の私たちには進歩した現代医学がある。
これを信頼し、合理的思考で社会を守ろう』
などと学生に呼びかけた。」

はい。私は、この記事で
この平川祐弘訳『いいなづけ』の
第31章と第32章を読んだのです。
この2章だけなのに、内容豊富で
要約もままなりませんでした。

はい。あとは読むことをおすすめして、
ここまでにします。といっても私が読んだのは
たかだか40ページに過ぎなかったのですが(笑)。

はい。いつの日か、このコロナ禍の
整然たる通史が読めることを期待しております。




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