及び腰で、象の鼻をさすっていた。いままで
そんな感じで、俳句を読んでいた気がします。
ところで、柳田国男の『生活の俳諧』に、
『七部集は私がことに愛読しているので・・』とある。
ちなみに、『生活と俳諧』は昭和12年12月第一高等学校講演とある。
そうして、『生活と俳諧』が入っている単行本『木綿以前の事』の
自序には、『七部集は三十何年来の私の愛読書であります。』とある。
この自序、昭和14年4月と日付があります。
年譜では、昭和14 (1939 )年は、柳田国男65歳。
『三十何年』というのが、かりに35年とするなら、
柳田国男が、30歳頃からの、愛読書に芭蕉七部集があった。
ということになる。
うん。こういうことに私は興味を持ちます。
『生活の俳諧』のなかに
「もう一つ考えてみるべき点は、
この俳諧というものの入用な時勢、境涯年齢のあることである。
諸君も多分年を取るにつれて、この説に同感せられることが
多くなって来るだろう。」(新編第9巻・p209)
はい。このブログを読む方は詰らないかもしれないけれど、
わたしには、この箇所がおもしろい。
いったい『時勢、境涯年齢』ってなんだい?
辞書をひけば『境涯』は、
「人がこの世に生きていくうえで置かれている・・境遇。身の上。」
う~ん。何だか承認しかねるのだけれども、この一高生への講演で、
『諸君も多分年を取るにつれ・・同感せられることが・・』が
気になるじゃありませんか。
谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ)は、
各年齢で読む本が並んでいるのですが、その70歳の箇所に、
安東次男著「定本狂風始末芭蕉連句評釈」がありました。
この本のあとがきで、谷沢さんは痛快に指摘しています。
「私は他人(ひと)から勧められて、言われるままにほいほいと
本を読みにかかった経験がない。他人に指図されるのを好まない
我侭(わがまま)者である。
或る書物と自分との出会いは、
私の身の上にだけ起こる事件である。
一冊の本を誰もが同じ気持ちで読むことはできない。・・」(p239)
それますが、その前のページで、谷沢さんは書いてます。
「私は生まれてから77歳の今まで、勉強という姿勢をとったことがない。
しようと思ってもできないのである。・・・・
もし私にも私なりの読書法があるとすれば、
それは、劣等生の読書法である。劣等生には
自分の生き方を世間の人様に向かって説く資格がない。
・・・・・
また、年齢別に整えた各章のはじめに、15歳なら15歳前後の
若い人たちに、なぜ以下の書物を勧めるのか、その理由を
簡単に記してはどうか、という(編集者の)御提案もあった。
けれどもこれまた私は辞退した。
説明する手立てが見出せないゆえである。」(p238)
この谷沢永一氏が、この本で指摘している箇所に
「俳諧の評釈として読むに足るのは、
柳田国男『俳諧評釈』(昭和22年、のち全集17)・・」
をはじめに、以下に数冊の題名を列挙しております(p223)。
柳田国男の『俳諧評釈』。その内容細目をみると、
戦後すぐの昭和21年より、芭蕉俳諧鑑賞と題して、
本格的に俳諧評釈とむきあっているようです。
ちなみに、昭和21年は、柳田国男72歳。
さいごに、柳田国男の『俳諧評釈』。そのはしがきから引用。
「俳諧が第二芸術であるかどうかといふことは、
すこぶる面白い問題のやうに考へられるが、
是を作者自身に問ひただして見ても、
芸術といふ語さへ無かった時代の人なのだから、
答へが得られないことは先づ確かである。
ただあの人たちはちゃんと心得て居て、
今の人に忘れられさうになって居ることは、
俳諧は作者に最も楽しいもの、
読者はせいぜいそれと同じ楽しさを味はふのが先途で、
それも人が変り世の中が推し移れば、次第にわからぬ
ことの多くなるものだといふことである。・・・」
このはしがきには、昭和22年春と日付がありました。
さあ、今年は私の俳諧記念日。
俳句だけだった世界から、あたらしく拓けますように。
俳句が象の鼻の先ならその次へたどる俳諧のたのしみ。
コメントありがとうございます。
毎回わかりずらいブログで、
のりピーさんを悩ませてて、
まったく、困ったものです。
7月6日は、サラダ記念日。
私の俳諧記念日は一日じゃ
到底おさまりきれないので、
今年いっぱい、としました。
本を読むよりも、本を齧る、
その瞬間の方が、楽しめる。
うん。本を食事に例えるなら、
本を食べながら、会話をする、
そんな気分での、ブログ更新。
ということで、サラダ記念日
ならぬ、わたしの俳諧記念日。
今年いっぱい絶賛開催中です。
なんのことやらますます
わからなくなりますよね。
つかぬことをお訊ねしますが、今年が俳諧記念日なのは和田浦海岸さんご自身のことなのでしょうか・・・