NHK新プロジェクトX。録画して初回を観ました。
あたまライト・尾っぽライト。
じゃなかった、中島みゆきのヘッドライトテールライト。
その歌詞は『 語り継ぐ人もなく 』とはじまってます。
『語り草』も60~70年をめどに、曖昧となり忘れらてゆくそうです。
ということで、関東大震災も、百年過ぎました。
新関東大震災の方が、やけに身近に感じられる。
ここでは中島みゆき『地上の星』と、
竹中郁『詩集 そのほか』との比較。
竹中郁は、戦後の月刊児童詩誌『きりん』を刊行しつづけておりました。
足立巻一は、それを指摘してこう書いております。
「 子どもの詩を読むことが自分の詩を作るよりも
しあわせだったといわれます。戦後30数年間・・・・
先生は第8詩集を『そのほか』と題されました。
子どもの詩を読むことが第一で、自作の詩は余分の
ことだという考えから名づけられたのです。・・・ 」
( p163 竹中郁少年詩集『子ども闘牛士』理論社 )
この『詩集 そのほか』(1968年)を今回とりあげます。
その詩集のなかに、『地上の星』と題する詩があります。
この詩集のはじまりは、詩『考える石』でした。
その詩の最後の数行を引用してからはじめます。
「 點(つ)きにくいマッチをすって
きみに近ずける
きみの石英質は 長石は 雲母は
かがやいた まばたいた そしてもの云いたそうだった 」
二番目の詩は「見えない顔」。戦後のラジオの
『尋ね人』の時間をとりあげた詩でした。その最後の2行。
「 ラジオの『 尋ね人 』の時間のなかの
あの 見えない顔 顔 見えない顔 」
この詩集の三番目の詩はというと
『 三いろの星 組詩のこころみ 』となっており、
はじめが『 押入れのなかの星 』
二番目が『 地上の星 』
さいごが『 夜の星 』でした。
うん。竹中郁の詩『地上の星』を引用したいのですが、
それは最後引用するとして、その前に詩集のなかにある詩『別世界』。
ここには、『つばめ』が出てくるのでした。
ここには、断片的に引用しておきます。
ゆきずりの郵便局の窓口で
はがきを求める
・・・・・
さて どこといって差出す目当もない
それなのに はがきに書く
佇ったまま 手当たり次第の台にもたれて
『 つばめになれ 鳩になれ 』と
・・・・・
ただ なんとなしに書く
俗事にかまけたおれの躰から
俗事一ぱいのおれの脳みそから
・・・・・・
ポトリと落しこんだ投函口の奥は暗いが
そこは果しのない大宇宙
そこには行ってみたい星もある
はい。最後になりましたが竹中郁の詩『 地上の星 』の全文。
地上の星 竹中郁
こちらで振る
踏切番の白いランプ
あちらで答える
もう一つの小さな白いランプ
どしゃぶりの雨のなか
話しあっているようだ
うなずきあっているようだ
やがて来る夜更けの電車を
夜更けて帰りの人人のいのちを
いのっているようだ
ね ここに一人のぼくがいるよ
雨とくらやみとにまぎれて
それとなく見つめているぼくだよ
ぼくも振っているんだよ
ランプの話しあいに加っているんだよ
ランプのいのりに加っているんだよ
黒い蝙蝠傘を
大きく大きく打ち振っているんだよ
インパクトのある番組でしたね。
あの語り口は 同じなのでしょうか?
事実の良い部分だけを取り上げている成功物語ですが
そのプロジェクトに携わった人たちのコメントなどもあって さすがNHKだと思った記憶があります。
コメントありがとうございます。
今日も新プロジェクトXがありますね(笑)。
はい。また録画し観ようと思っています。
旧プロジェクトXは、何となく見てました。
新プロジェクトXは、きちんと見ることに。
私の場合は、本を寝せておきますので、
数年忘れて、あらためてひらくと新鮮。
そんな新鮮でハッとさせられる本に、
すこしずつでも出会えるのは70歳を
過ぎたこれからのたのもしい楽しみ。
そんな楽しみをブログで書きこめれば、
そう思っております。そんな気持ちで、
これから新プロジェクトXを見れれば。